中学生の頃だっけか、刀鍛冶になりたいとおもっていた。
刃物にどうしても惹かれるものがあり、今振り返ると少し変わった子どもであったみたい。
今でも変人扱いされてるから一緒か・・・
今日嫁さんが部屋の大掃除をしていて
「あんたの本がいっぱい出てきたよ」といわれた。
ゴキブリが卵を産み付けないようにと、そういえばだいぶ前に衣装ケースにまとめてうつしたんだった。
開けてみると一番上に置いてあったのがこの本。
思えば自分のモノづくりの原点となった本かもしれない。
正確な年は覚えていないけれど、出版が1977年。
計算すると私が中学生になりたての頃か・・・
なんかの雑誌でこの本のことを知り、東京の刃物屋さんだったと思うけど手紙を書いたりどうにかこうにかして、手に入れた本だった。
今みたいにアマゾンもないし、通販というものもなかった頃。
多分ためた小遣いを現金書留かなんかで送ったんじゃなかったっけか。
今でも覚えている4千8百円だったはず。
もう40数年以上前のことなんで、今の金額に直すとそれなりに田舎の中学生にとってはかなりの金額だったはず。
郵便で届いた分厚い封筒を目ざとく親父に見つかってしまってビクビク。
購入したことを怒られはしなかったものの
「4千8百円も出すんなら、いいナイフ買えたんじゃね?」といわれた。
それにたいして
「4千8百円じゃ自分の望むナイフは買えないんで、それよりも作り方勉強した方がよくね」
と言いたかったのだけれど、当時から立派なコミュ障だった自分、さらに親父には萎縮していたので後半の文句がいえなかった。
その言葉足らずの答えが親父の逆鱗に触れたようで、しばらくギャーギャー怒られた覚えがある。
でもその時は早く開けて中身をみたい一心で、馬耳東風。
・・で開けてみてショック!
なんと、当たり前のことだけれど全部英語でかかれていた・・・
まだ中学生になりたてで「ジスイズアペンとかマイネームイズ」とか習っている頃のこと、読めるわけがない。
それでも写真を何度もなんども見返しては、何が書かれているのかを必死こいて理解しようとした。
すでになくなってしまったアメリカンカスタムナイフの神様的なボブラブレスもうつっている。
当時の実家はまだ五右衛門風呂、風呂焚き当番の日にはかまどで釘やら針金やらを赤く焼いてトンカチしたり、折れたノコの刃なんかをもらってきては、手回しグラインダーで削ってナイフにしたりと、鍛冶屋もどきのことを始める多感な少年時代だった。
技工所を独立開業してからは、この本に出ているベルトサンダーという、いかにも工業機械なものをアメリカから取り寄せて、ナイフ屋にまで発展させナイフ作り教室なんてものもやっていた。
写真の本の上に乗っけているナイフはその時の生徒さんが作ってくれたもの。
もう少し仕事頑張ったら、ちと騒音で周りに迷惑のかからない所に引っ越し、鍛冶屋をやろうと目論んでいる。
この計画を嫁さんは知らない・・・ふふ
刃物にどうしても惹かれるものがあり、今振り返ると少し変わった子どもであったみたい。
今でも変人扱いされてるから一緒か・・・
今日嫁さんが部屋の大掃除をしていて
「あんたの本がいっぱい出てきたよ」といわれた。
ゴキブリが卵を産み付けないようにと、そういえばだいぶ前に衣装ケースにまとめてうつしたんだった。
開けてみると一番上に置いてあったのがこの本。
思えば自分のモノづくりの原点となった本かもしれない。
正確な年は覚えていないけれど、出版が1977年。
計算すると私が中学生になりたての頃か・・・
なんかの雑誌でこの本のことを知り、東京の刃物屋さんだったと思うけど手紙を書いたりどうにかこうにかして、手に入れた本だった。
今みたいにアマゾンもないし、通販というものもなかった頃。
多分ためた小遣いを現金書留かなんかで送ったんじゃなかったっけか。
今でも覚えている4千8百円だったはず。
もう40数年以上前のことなんで、今の金額に直すとそれなりに田舎の中学生にとってはかなりの金額だったはず。
郵便で届いた分厚い封筒を目ざとく親父に見つかってしまってビクビク。
購入したことを怒られはしなかったものの
「4千8百円も出すんなら、いいナイフ買えたんじゃね?」といわれた。
それにたいして
「4千8百円じゃ自分の望むナイフは買えないんで、それよりも作り方勉強した方がよくね」
と言いたかったのだけれど、当時から立派なコミュ障だった自分、さらに親父には萎縮していたので後半の文句がいえなかった。
その言葉足らずの答えが親父の逆鱗に触れたようで、しばらくギャーギャー怒られた覚えがある。
でもその時は早く開けて中身をみたい一心で、馬耳東風。
・・で開けてみてショック!
なんと、当たり前のことだけれど全部英語でかかれていた・・・
まだ中学生になりたてで「ジスイズアペンとかマイネームイズ」とか習っている頃のこと、読めるわけがない。
それでも写真を何度もなんども見返しては、何が書かれているのかを必死こいて理解しようとした。
すでになくなってしまったアメリカンカスタムナイフの神様的なボブラブレスもうつっている。
当時の実家はまだ五右衛門風呂、風呂焚き当番の日にはかまどで釘やら針金やらを赤く焼いてトンカチしたり、折れたノコの刃なんかをもらってきては、手回しグラインダーで削ってナイフにしたりと、鍛冶屋もどきのことを始める多感な少年時代だった。
技工所を独立開業してからは、この本に出ているベルトサンダーという、いかにも工業機械なものをアメリカから取り寄せて、ナイフ屋にまで発展させナイフ作り教室なんてものもやっていた。
写真の本の上に乗っけているナイフはその時の生徒さんが作ってくれたもの。
もう少し仕事頑張ったら、ちと騒音で周りに迷惑のかからない所に引っ越し、鍛冶屋をやろうと目論んでいる。
この計画を嫁さんは知らない・・・ふふ