海外逃亡してしまいました

保証かぶれや経営する会社の経営不振。これでもかこれでもかと降りかかる災難の中、自殺まで考えたがフィリピン移住に活路をみつけ第二の人生に邁進中。海外逃亡のいきさつからフィリピン移住の参考にまでささやかなお役に立てますように・・

タグ:都市封鎖

フィリピンの都市封鎖後すでに一ヶ月すぎた。
今月末まで延長になったのでまだまだ絶賛強制ニート生活中。

今日は家賃の支払いで嫁さんと銀行に行ってきた。

空いてる店舗が限られるためちょっと離れたところまで行かないかんし、どこに行ってもソーシャルディスタンスとかで入り口の外で並んで待っとかないといけない。


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以前と違って静かな街中なんで犬もそこかしこで気持ちよさそうに昼寝している。
写真のずーと向こうにも黒いのが一匹寝てる。

そのあとついでに少しばかり食糧の買い出し。

収入も怪しくなってきたので、そろそろ備蓄分で食いつないでいかないといけなくなってくる頃だな。


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スーパーでは酒類の販売ができなくなっているらしい。
先日まではワインとか並べられていたところに黒い覆いがかぶせられている。


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もしかしたら嫁さん本邦初公開かぁ?

こんな格好で買い物してます、しかもすでに違和感がなくなっているし、周りを見ても浮いているわけでもない。

そんなニート生活ながら退屈しているわけでもなく、ただいま勉強中。

今まで手付かずじまいだったもう一個の3Dデザインソフトをいじりまくっている。


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ほら、こういうのまでは作れるようになった。


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これはフェイスシールドの頭にはめるやつ。

プリント時間がかかるのでたくさんは作れないけれど、地味に社会貢献もしている。

強制ニート生活もすでに2週間をすぎ、会社のスタッフと管理職の連絡手段として使われているグループチャットもだいぶおとなしくなってきた。

当初は「給料のどうなるのー?」とか「国の補償はー?」とか、まあ当然の不安からメッセージのやりとりがにぎやかだったっけ。

都市閉鎖されてからの最初の給料日が3月31日だった。
通常この月末の給料は3月1日から15日までの労働分が支払われるので、その期間はちょうど都市閉鎖前だから給料分の仕事はしたことになる。

ただ、グループ企業のクリニックも全て閉鎖されているので、いわばグループ企業の屋台骨から機能していないことになる。

当然オーナーは気が気じゃなかろう。
全従業員はほぼ300名いるし、クリニックもほとんどがテナントなんで毎月の賃料もかなりの額なはず。

そういう状況を踏まえ、31日の給料は通常の半分で辛抱してくれとの達し、意外に不満の声は出ていなかった。・・・と思う。

私とて今は一従業員にすぎないので同じような状況だし。

ただ、過ぎたことは変えようがないので嘆かず、明日のことはまだきていないので憂えず、というのがモットーなのでできることしたいことを淡々とやるのみ。

どうやらこの世界的な状況は前向きに考えれば、今までの悪しき金融システムをリセットできるいいチャンスになるのでは、と思っている。

喘息の持病があり、子供の頃は呼吸困難で何度も死にかけたので、できれば呼吸困難では死にたくないかな?と漠然と思いながら真面目に隔離生活を過ごしている。

毎日のスケジュールは大体7時起床、これは今までの習慣なので自然とこの時間に起きる。

そのあとは朝食を作る嫁さんの横で、朝のコーヒーを入れるのは私の担当でこれは以前からそう。

車が少なくなって空気がきれいになったので、ベランダで朝日にキラキラ光るマニラ湾を見ながら朝食をとる。


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そのあとはシャワーして掃除したり片付けしたり。
前夜に仕込んだ3Dプリントの結果を見るのも楽しみのひとつ。

で、昼飯はこぞーが起きてくるのが遅いので、遅めにがっつりと。
晩飯もかねてしまおうという節約の心やね。

朝食後は自分のしたいことをやっているんだけれど、この状況で会社の仕事などはやりようがない。
たまにオンラインミーティングというのに参加させられるだけで、それも多くて週2回。

こんな今の状況でそれでもついついやってしまうこと、というか自然とやらずにおけないものというのが本来自分がやりたいことなんだろうと思うようになってきた。

直接は収入に結びつかないけれど、いわば種まきみたいなもんかな?
まかない種は芽が出ようがないしね。

いずれ芽が出ることを夢見て、花開く確証はなくてもやっていること、やっぱこれが自分のやりたいことなんだなと。

次の給料日は本来なら4月の15日だけど、これはもう出ない事が判明している。
国からの補償がなんかあるらしいけれど、私は外国人になるんでそれもあてにはならんやろう。

でも、別に不安は無い。失う物がないものの強みというのも少しあると思うけれど、まあ、今までにも絶対絶命の状況と思いながらもいまだにしぶとく生きとるわけだしね。

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夕方になるとまた嫁さんとベランダに出て、コーヒーを飲みながらマニラ湾に沈み行く夕日を眺める。

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写真ではわかりづらいけど宵の明星の金星が上空に光っている。

日没後のマジックアワーといわれるだけあるね、この美しいグラデーションは・・・

通常の休みや休暇と違って、クライアントから電話やテキストが来ることもないし、スタッフからのトラブルシュートも全くない。

危機的な状況というのは自分だけじゃないんで、今の状況は前向きに捉えればいろんなことの見直しができるいいチャンスかもしれん。

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これから寒い冬になる、という時期と地域だとなかなか滅入ってしまいがちかもしれんけど、フィリピンの空は真っ青でこれからさらに暑くなってくる時期。



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今日で自宅待機2週間になる。
車も少なくなったマニラは空気もきれいで、いつもの喧騒やクラクションもなくなった。

普段はマニラ湾に面した我が家のベランダは排気ガスがうっすらと積もるし、何より車がやかましいのであまり出ることもなかった。

都市封鎖2週間ともなると空は青々としているし、最近は嫁さんと朝食はベランダで海を眺めながらとるようにしている。

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・・・と、爽やかな写真を撮った後にネットで日本のニュースを見たら、志村けんさんの訃報。

昨晩は日本行きの医療チャーター便がマニラの空港で墜落したというニュース。

しかし、この志村けんさんの訃報は日本人にとっては衝撃ではなかろうか?

というのはフィリピンの状況から見ても、日本の今の状況は危機感なさすぎやろうと思う。

他の国に比べてよく押さえ込まれているとかなんとか、でも、情報操作されてないか?

不安を煽るようなことはしたくないけれど、みなさんご用心を。

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今日は月曜日。
思い起こせば先々週の月曜日は仕事に行ったんだった。

前の日の日曜あたりから都市封鎖のおふれが出されたんじゃなかったかな?

ただ薬局や食料品店、医療関係は営業が許可されていて、通勤時にチェックポイントで咎められないようにと在職証明書とか会社が発行していたんだった。

うちの系列のクリニックは全て営業停止、得意先のクリニックも営業したりしなかったりというのがこの日まで。

うちの会社は技工所なので納品前の仕事とか残っていたし、他の技工所が営業していないからということでの受注もちらほら。

その月曜日までは技工所は当面通常営業という上層部の決断だったっけ。

ところが月曜の夜に大統領の緊急演説があり、都市封鎖の決定。
このときの内容は公共交通機関の全面停止、もちろんジープやトライシクルも停止。

ただし薬局 銀行 食料品店 医療機関は営業し、不要不急の外出は控えるようにとのことだった。
夜8時から翌朝5時までは完全に外出禁止。

会社の連絡網としてFacebookのグループチャットが出来ていたのだけれど、この月曜の夜はちょっとか騒がしかった。

次の日火曜日の勤務は継続の予定だったけれど、公共交通機関が使えないと通勤に困る人がほとんど。

最終的に夜遅くになって、技工所も一ヶ月の完全封鎖が決まって今に至る。

その後もグループチャットは忙しく、今度は給料がどうなるかの話題。

締め日の関係で明日の月末が給料日だけれど、この日の給料までは半額支給ということらしい。

フィリピンの場合は給料が月に2度払われるところがほとんどで、たとえば3月1日から15日までの分が月末に支払われ、16日から末日までの分が翌月15日に払われることになる。

それぞれは月給の半分ずつ。今回はさらにその半分にということになるらしい。

ただ今月は17日から封鎖されたわけで、その次の分の給料は多分出ないんだろう。

なかなか死活問題になってきたね。ただ自分だけじゃないというのがなんとなく救いかな。

都市封鎖すると経済活動が極端に落ちてしまうのは実感しているので、ましてや日本の東京が、ということになると深刻な問題だろう。

オリンピックは延期になったらしいけれど、それでも国としてはまだまだ情報操作してなんとか平静を装いつつ抑え込みたいんだろうと思う。

それが実際に都市封鎖されている国から見ると、なんとも生ぬるく見えてしまう。

志村けんさんの訃報がちょっと目を覚ますきっかけになるのかな?



都市封鎖というより、すでにフィリピン全土封鎖されている。

近頃ブログをあまり更新していなかったのに、微妙にアクセスが増えているのはもしかして心配してくれている方がいらっしゃるのかな?

またボチボチ更新していこうかな。
即身仏になるときの鈴の音みたいに、更新がしばらく無くなったら異国の地で土になったと思ってくださいな。

・・・と、ちょっと暗い書き出しになるくらい、そろそろ都市封鎖の現実感が感じられるようになってきた。

具体的にはフィリピン国内での飛行機や船での移動はできなくなっているし、国際線も怪しい状況。

日々の生活は夜8時から翌朝5時までは外出禁止。
日中も食料品や薬の買い出しなど生活維持に必要なこと以外は外出ができない。

バランガイという地域の管理行政みたいなところが発行する、一家族一枚の外出時に携帯する許可証みたいなものがある。

昨日これをもらってきたんだけれど、買い出しにはこれを携帯しないといけない。

食料品の買い出しなんて嫁さんじゃないと何買うかわからんので、必然我が家では嫁さんが行くことになるんだろうけど、歩いて行ける範囲にスーパーもないし車は誰が運転するんじゃ?


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これは2日ほど前に嫁さんと買い出しに行ったときの様子。
モールオブアジアという大きなショッピンングモールの通り。

右側がモールで左側は遊園地やレストラン、いつもなら車も人通りも多い場所がこの通り。


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スーパーの中は食料品など普通に並んでいるけど、消毒用アルコールの棚だけはこの通り。


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自宅近くの裏通りも人がいないな。
この辺りは路上生活者がたくさんいるんだけれど、なんか心なしかきれいに掃除されているし。


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青空キッチンはこんな感じ。
この灯油で動くストーブは前から気になっている。欲しい・・・

最終的にはこういう人たちの方が強いのかもね。都市閉鎖といわれてもほとんど平常運転じゃなかろうか。

ほとんどのオフィスは営業していないし、うちの会社も例外にもれず仕事に行けない。

家の掃除をしたり、今まで手付かずだったところを修理したりしている。


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今日は朝からこういうものを作った。
仕事で使う絵具みたいなものを入れる携帯用のケースだけれど、ガワはただのミント缶。

3Dプリントで作った中身はしばらく前にプリント済ませておいたのだけれど、今朝はこれを白に塗装。

缶のふた側は絵具を溶くのに使うので色が見やすいように、こちらも白に塗装した。


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ちょっとだけ満足の仕上がり。

さてさていつまで続くことやら・・・

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