IMG_2454


「海外逃亡 10年後」というのを以前に書いていたのをアクセス解析を見ていて思い出した。

恥ずかしながらちょっと読んで見たら、クレジットカードを持つ身分になった頃だったっけ。

・・・で、今は12年後ということになる。

このブログも備忘録のつもりとはいえ、自分で見直すことはほとんどないんであんまりその意味はないか。

どっかで野垂れ死んだ時にコゾーなんかがネット上で見つけて、オヤジのロクでもない人生を早送り再生するくらいの役にはたつかも。

改めてこの12年を振り返ってみても、いつか人生挽回しないと・・・と思いながらいつの間にか残りの寿命、いかに他人に迷惑かけずに行くかを考えないといけない年になってしまってるじゃないか。

今更ながらちょっと整理するために振り返って見ると、最初の5年はアメリカ資本の技工所で働きつつ大学で技工を教えていた。

このころの肩書きがなんだっけ?途中でプロダクションマネージャーというかっこいいものに変わったけど、簡単にいうと工場長だな。

正確には丸5年経つ前に会社が突然閉鎖して、無職になった。
いや、まだ大学の仕事は続いていたんんで、完全な無職じゃなかったな。

その後歯科医院に縁があって勤め始めた。
掛け持ちが難しくなって大学はこのころやめた。

ここはすぐにクリニックの内勤から技工所を立ち上げることになって、目の前にぶら下げられた🥕に向かってひたすら馬車馬のように働いた。

ここは丸7年勤めて先月末で一応個人都合の円満退社。
今まで勤め人としての経験年数はほとんど2年ばかりだったので、いままでで一番長い勤め人時代だったことになる。

6人から始めた技工所が7年後の退職時には80人まで増えたし、年商でも一億円は軽く超えるようになっていたので、技工所としてはまあまあいい成績ではなかったろうか。

ここもヒラから始まってオペレーションマネージャー、副社長、社長と肩書きが変わって、今はフリーターみたいなもん。

正確には今から9年ほど前に、顔面補綴の仕事の会社を作ったのだった。
これはたまーにくる症例をこなすのに、違法営業はしたくなかったので作った会社だった。

外国人である私は事業主になれないので、フィリピン人である嫁さんが事業主。

この会社では私はヒラ社員という肩書きを頂戴している。

近頃はこちらの仕事が少し忙しくなってきたので、ちゃんとフィリピン国に税金を納めるようになっている。

これだけで食っていけるほどじゃないけどね。

コゾーもまだ学生だし、もう少し挽回のチャンスを伺いつつ生きていこうかな。