海外逃亡してしまいました

保証かぶれや経営する会社の経営不振。これでもかこれでもかと降りかかる災難の中、自殺まで考えたがフィリピン移住に活路をみつけ第二の人生に邁進中。海外逃亡のいきさつからフィリピン移住の参考にまでささやかなお役に立てますように・・

タグ:移住

いつの間にか自分の中ではフィリピンで暮らすのが当たり前になっているので、ネット上の海外移住の情報とか記事を見ると、改めて大変なんだなと思わされる。

フィリピン人は海外、特に中東に出稼ぎに行くのがかなりポピュラーなため、そういう環境にいると日本の記事なんかがなんか不思議に感じるときがある。

今歯科の技工所で働いているのだけれど、技工士は特に海外に行きやすい職らしく、うちの技工所でもちょこちょこ海外に行くためといってやめていく人が後を絶たない。

勤めながら時々休みをとったりしてはエージェントとコンタクトを取って手続きをしているみたい。

エージェントによっては急きょ渡航が決まったりで、いきなりバックレるスタッフもいるし、会社としては頭痛の種でもある。

私の場合は日本におれなくなって移住(といえば聞こえはいいけれどやはり海外逃亡だな)してきたけれど、たまたま技工士という手に職があったので今まで生きてこれたんじゃなかろうか。

日本では日陰者のような扱いの歯科技工士だけれども、フィリピンでは国家資格の制度ができたりでちょっとしたブーム的な職でもあるしね。

これが歯科医師だったら逆に免許制度の制約を受けてしまうので、違った結果になったろうと思う。

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リトルトウキョウ近辺とか日本人学校とかで現地日本企業の駐在の方々と思しき、身ぎれいな日本人の人たちを見ると、あー自分は立派なアウトローだなと認識させられるし・・・

嫁さんがフィリピン人というのももちろん大きなアドバンテージだし、コミュ障とはいえいつの間にか言葉のハンデを感じなくなっているくらいには、英語タガログ語をしゃべれるようになったのも大きいと思う。

いろいろ考えるとトータルでやっぱり運がよかったんだな。

今までのところは何とか現地での収入でやっていけているわけだしね。

なんかネット上の海外移住なんて言葉を見ると、なんかおしゃれで優雅な響きを感じるんだけれど、そんな響きにのせられてきたりするとやっぱり大変なんじゃなかろうか?

一生暮らしていけるたくわえでもあれば違うんだろうか。

そんだけお金があるなら日本のほうがいいような気がするけど・・・



募集なんて書いていまどきのゆとり若者が来ると困るけれど、
先週まで日本からのお客さんがあった。

2名の技工士さんでもうおふたかたともかなりベテランの域に達しておられる大先輩。

 もちろんわが社にもご案内申し上げたのだけれど、うちのスタッフ相手にちょっとしたセミナーやってくれたり、指導してくれたりで楽しんでいただけたよう。

今まで孤軍奮闘だったのがいきなり日本人3人になるとなかなか心強いというか、
ついつい日本語で会話が弾んでしまう。

スタッフは私が日本語を話すのが珍しいらしく、いまさらのように「あーそうかこいつは日本人だったっけ」みたいな顔をされる。

先輩方はすでにリタイヤするような年齢で、このあとは世のため人のためになれればいいなと、
自分の知識と技術が役に立つなら世界各地いきまっせーののり。

やはりこういう世代のほうがゲンキなのね。

3人共通する思いはやはり日本の若い技工士さんたちにもこういった機会を与えたいね、ということだった。

とりあえず様子見だけだったら観光ビザで来ればいいし、何なら観光ビザで2年滞在している人もいる。

観光ビザなのにしっかり現地の運転免許に書き換えてバイクで出歩いているし、銀行口座も開いてる。
一軒家を借り手メイドさんも雇ってるし、そういうゆるいところもやはりフィリピンの利点じゃなかろうか。

少々腕に覚えがあって熱意のある人なら面白いと思うけどな。
英語なんかは高校までで習った英語をおもいだし思い出しして使えば結構通用するもんだし、
技工の仕事は幸い言葉がそれほど重要じゃない仕事なのでなれる人はすぐになれるみたい。

職場見学とこちらの状況のお話ぐらいだったら喜んでお受けします。
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たまには写真だけで・・・・
何のつながりもなくただ貼ってみただけ
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マンゴーの木、今が新緑の季節、微妙に季節があるみたいね。
まだ実はなっていないけれど、実がなるころはそこらの子供やあんちゃんたちが吐いているゴムぞーりを投げて実を落とそうとする。さながらアボリジニのブーメランみたい。

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散歩コースの公園の植え込み。
朝日に映えてきれいだったので・・

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ちょっと高級なほうのモールの果物屋さん。
左端に色は白いのだけれど、台湾産スウィートポテトというのが売ってあった。
今度買って焼き芋を作ってみようと思う。

前に八百屋で見つけたさつまいもは、見た目まんまさつまいもだったけれど中身はじゃがいもみたいだったっけ。張り切って炭も買ってきて焼き芋にしたのだけどちと期待外れ。

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よく見かける交通事情。
渋滞の中すり抜けるサイドカー付自転車トライシクル。
車を運転するほうから見ると邪魔なんだけれど、道路が冠水した時に最後まで運転できて活躍するのはこれ。
人力あなどるなかれ。

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特に観光地というわけでもないのに時々入っている馬車。
観光スポットに行くと結構走っている。

邪魔といえば邪魔ではあるんだけれど、不思議とこれには誰も文句言わない。

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いわゆるバラック。
中がどんなになっているのかちょっと興味があるんだけれど・・・
もちろんシャワーがついてるわけもなく、家の前でバケツで行水しているのをよく見かける。
子供じゃないと裸になるわけにもいかず服を着たまま行水している。
洗濯も兼ねてる?

子供はフリチンで洗われたりしているけど、日本だと間違っても見られない光景。

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朝の通勤途中の風景。
以前マニラでロケがあった映画の女優さんが、子供たちのために交通公園みたいなのを作った のがこれなんだとか。ボーンレガシーという映画だったと思うけど、あちこち道路を封鎖して撮影していて結構渋滞をひどくしていたっけ。

海外に住む日本人にとってやはりおいしいご飯は大事なんじゃなかろうか。
マニラでは日本食材屋さんが結構あるし、モールの中のスーパーに行けば日本米もキロ売りしていたりするとこもある。

ただし、やはり現地の米に比べて結構割高だ。

キロ売りでも普通のコメがキロ20から30ペソに対して、日本米だと80ペソ以上する。

そんな高いお金を出して日本米を買ってきても、こちらの炊飯器で炊くとなんかうまくないのだ。
こちらで売ってる炊飯器といってもごく普通の炊飯器で、日本だとかなり以前に売れれていたようなものすごくシンプルなものだ。

ごはんを炊きながら一緒に別の食材を温められるような、蒸し器みたいなパーツがセットされたようなものもあるのだが、 日本の炊飯器みたいにいかにご飯をおいしく炊くかというのは考えられていないような感じがする。

炊飯器自体は安いんだけれど、すぐ壊れるし・・・・・
頑丈そうな見た目のアメリカ製を買ってきたら今度はご飯がこびりついてかなりの量を無駄にしてしまう。

数万円もする炊飯器が普通に売っているような日本は、やはりおいしいご飯に対するこだわりが違うのだとつくづく思う次第。

もともとアウトドアが好きな私は、山用のコッフェル、いわゆるナベをいくつか持っている。
山用なのでものすごくシンプルなアルミの鍋だったりするのだが、自分ひとりだけの食事を作るときとか、息子に夜食を作ってやるときには、ご飯もこの山用の鍋を使う。

そのほうがおいしく早く炊けるのである。

最近では炊飯器に嫌になった嫁さんまでも、ナベでご飯を炊くようになったのだが、いまいち自分で炊くようにうまくない。

見ると沸騰してきて吹きこぼれるのが嫌で、ナベのふたを少しあけてご飯を炊いていた。

そこでアマゾンでご飯炊きに特化した山用のナベを買ってやった。

うち蓋式のナベにはやはり理由があって、吹きこぼれもなくなった。
日本米は高いのでジャポニカ米というのを買ってきて、水加減を調整して炊いている。

なかなか今はおいしいご飯を食べることができるようになった。
しかもジャポニカ米は安いしね。

いま使っているナベはこれ。最近アフィリエイトというのを覚えたのでしっかりリンク張っているのでご了承のほど。


2800円の割には実物はしっかりしていて、アルマイト処理が高級な感じで一見ステンレスかと思った。

こちらではカセットボンベは手に入りやすいので、キャンプ用のバーナーに韓国製のアダプターをかませてカセットボンベを使っている。

お勧めの一品!
 

移住ネタをひとつ。

2月2日はフィリピンに移住してきた記念日だったのだが、それを思い出してひとつ参考までに。

10年前のその日に朝早く大阪から日本を離れたのだった。

移住に際しての大きな懸案が飼っていた2匹の犬。
1匹は拾ってきた捨て犬を育てたもので大きさは中型犬。
もう一匹はゴールデンレトリーバーのミックスでもらってきたもの。
ゴールデンの血を引いているとはいえ小柄なほうとはいえやはりそれなりの大きさの犬だった。

破産同然の当時の生活、そうなると犬まで引き取って面倒見てくれる人もなく、私のいく先に連れて回るしかない。
自宅があった熊本では問題なかったが、フィリピンに移住してくる前一年ほどは大阪での生活だったのだが、この時は周りに迷惑かけながら2匹の犬たちも大阪に厄介になっていた。

フィリピンにも一緒に連れていくほかなく、調べたところ、狂犬病の注射をした証明書をとって、空港の検疫所に出して許可をもらわなければいけないのだとか。

検疫所の手続きは出国の当日にできるとのことであったが、もちろん飛行機の貨物として航空券を買うときに申し込んでおかないといけない。

こちらはケージに入れれば問題ないとのこと、何とかそれぞれの犬が入れる最小限の大きさのケージを買ってきて事前に慣らしておいた。

一番の問題だったのは狂犬病の予防注射の証明書で、これは出国前3か月以前のものでないといけない旨記載されていた。

これを知った時にはすでに3か月を切っていた時だったのだが、今更これで出国の予定を遅らせることができなかったので、当たって砕けろで当日空港まで向かった。

レンタカーを借りて一家そろっての空港までの移動。
おまけに寒い日で、検疫の手続きも心配だったので早めに出ようと、まだ早朝の暗いうちに出発したのだった。

荷物もそれなりに家族3人分あったので、はたから見ると夜逃げと言えなくもない。
まあ実際夜逃げといっても間違いじゃないのかな・・・・

そんなこんなで、朝早く検疫所に行って手続きをしたのだが、係官が見落としたのか、それとも重要じゃなかったのか2匹の犬たちは無事出国できることになった。

たぶん狂犬病のある国からない国への出国は厳しいのだと思う。

フィリピンは狂犬病のある国なので、たぶん日本にまた連れて帰ってくることはできないのだろうなあ、と少し寂しくなった。

家族には1年だけのフィリピン暮らしと言って納得させたのだが、ひそかに自分の中では1年では戻ってこれないだろうというのはすでにわかっていたのだった。

この辺のいきさつは拙著『海外逃亡してしまいました』に書いてあるので興味のある方はどうぞ。

今日は犬の出国のいきさつを記念日にあたって思い出したので、だれかの役に立てばと思って・・・

真冬の日本からいきなり常夏の国で、当初は環境になじめなかったのか2匹とも鼻の周辺まで脱毛したりと、いろいろあったけれど2匹の犬たちはその後フィリピンで天寿を全うした。

離れることなく最後まで飼うことができたのでまあよかった。
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こちらはフィリピンで手に入れた新しい家族。
 

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