海外逃亡してしまいました

保証かぶれや経営する会社の経営不振。これでもかこれでもかと降りかかる災難の中、自殺まで考えたがフィリピン移住に活路をみつけ第二の人生に邁進中。海外逃亡のいきさつからフィリピン移住の参考にまでささやかなお役に立てますように・・

タグ:海外逃亡

ついに、なのかこのブログに来られる検索ワードで、いつもはフィリピンというワードが一位なんだけど、 今日見たら海外逃亡が一位になっていた。

やっぱり時期的なもんなのか・・・

これから日本は寒くなる時期だし、そういう気分になりやすいんだろうか。

いつの間にか日本の年末の気分も情緒も薄れてしまっている私。

日本でこの時期は歯科技工士にとって一番忙しい時期だった気がする。
正月前に新しい歯を入れたいという人が多く、毎年不眠不休に近い状態で働いていたっけ。

フィリピンの方はどうかというと、サーティーンスマンスペイと呼ばれる、正社員なら一ヶ月分の給料をこの時期余分にもらえることが法律で決められている。

雇い主にしてみれば大変だろうけど、こういうのでもないとボーナスなんていうものは、ないがしろにされそうだしね。

そんなちょっと懐の暖かくなる時期でもあるし、クリスチャンが多いフィリピン、クリスマスに向けての浮足立ち具合はちょっと毎年半端じゃない。
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パーティーだプレゼント交換だと、もう仕事は手につかずというのが増えてきて困る。

雨季も終わったとはいえ、それでも5月ごろの一番暑い時期に比べればまだ過ごしやすい。

借金で夜逃げしたりというような気分は到底ないみたいね。
もともとお金ない人が多いんで、感覚が慣れているというのか、当たり前になっているというのも大きいのかな。

そういうフィリピン人の気質や雰囲気にだいぶ救われもしたけど、仕事をしていく上ではときどきイライラするな。

でも釣られていつの間にかクリスマスソングが頭のなかでリピートされていたり、やっぱ染まってしまってるなぁ。
 
 

ここ数日ブログへのアクセスが異常に多い。
海外逃亡とか国外逃亡という検索ワードで来られている新規の方が多いのだけれど、
日本でなんか起こっているのか?と心配になるけどどうなの?

あと「ロリコン画像」で検索して来られる方も多いのだけれど、
これは期待されてこられても困るしね。

多分どっかで触れた話題のキーワードの引っかかってるんだろうけれど、
やはり、そっち系統に欲情するのはおかしいのかもよ。

私の子供時代はフリチンで遊んでいる子とか時々いたけれど、 
フィリピンでは今もそういう光景を目にする。

道端で犬でも洗うような感じで子供たちがあらわれていたりするし、
ちんちんどころかわれめちゃんも見えていたり、そういう光景もロリコンには危ない光景なんだろうな。

わがブログには一切そういう写真はのせませんので、よろしくね。

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ブログにこられる人のアクセス解析というのがあって、どんな検索ワードでこられたかというのも棒グラフで出てきたりする。

一位は「フィリピン」というキーワードだけれど、2位と3位が「海外逃亡」「借金国外逃亡」で、この二つをあわせると「フィリピン」を軽く超えてしまう。

同じような意味なのでダントツでやはり「海外逃亡」関連でこのブログにこられている人が多いということになろうか。

10年前の借金の重圧で眠れない日々をすごした自分を思い出す。

「海外逃亡」とウェブで検索するといろいろな見解のサイトを見ることが出来る。
借金から逃れられないといってるところもあるし、中にはパスポートが取れないとか、日本に帰国することが出来ないと書いているところもある。

あおるわけではないけれど、自分のその後の状況を書いておこう。
逃亡することはいいことではないけれど、自殺や最悪、犯罪に走って誰かを殺すよりはまだましかもしれない、といえば都合のいい言い訳といわれるかもしれない。

ほかのサイトを見て疑問に思われていることなんかを少し・・・

パスポートに関しては今でも自分のパスポートを持っているし、途中で更新期限が来て更新し、新しいパスポートも発行してもらっている。

日本には何度か短期で帰国しているが、入国、出国とも別に普通に済んでいる。

いまだ返せていない借金も残っているのだが、拙著「海外逃亡してしまいました」の「弁護士のささやき」のところに書いたように、変なところから借りていないということと、やはり金額がそれぞれでは巨額ではないということが関係しているのだろうけれど、結局弁護士のいったとおりになっている。

もちろんいまだ後ろめたさはあり、時々夢に見ることもある。
友人や家族への不義理もいつか果たさないと、と思いながらもやはり収入の違いが大きく、困窮邦人にならないように生きていくだけで結構必死かもしれない。

特に外国にいる今は回りにはいよいよ頼ることも出来ないので、まさに背水の陣といったところか。

外国での生活はというと、やはり技術職であったのが幸いしたのかもしれない。
現地で生活をまかなえるだけの収入を稼ぎ出すすべが無ければ、いよいよどうしようもなくなったことだろう。

技術があっても現地の技術者と同レベルでは、収入もそこまでどまりになるだろうし、やはり周りに比してそれよりもレベルが高かったのだろう、いつの間にか管理職側になってしまっている。

以前マニラで知り合った日本人の駐在の方がいて、仕事の話になったことがある。
フィリピンにある日本企業に勤務しているらしいのだが、もともとフィリピンには来たくなかったのだとか。

ピーナを追っかけてくるおっさんからするとうらやましい限りかもしれないけれど、その人曰く
「出向する条件として月に一回は日本に帰ることを条件にしたんですよ」とおっしゃる。
もちろん費用は会社持ちでますますうらやましい限り。

「現地採用はしていませんか?」と冗談半分結構マジで聞いてみたところ、「現地採用の場合はうちははじめは40くらいしか出ませんよ」と、会話の前後からして歳の話じゃないので、40万円給料もらえるんだったらかなりいいじゃん、と心が揺らいだ。

その時は自分の仕事を放りだしてそちらに走れない義理もあったので、話はそのままで終わったのだけれど、後からよくよく考えるに、40というのは40万円ではなくこちらではフォーティーサウザンド、4万ペソのことだったと後で気づいた。

円に換算して10万ちょっとか・・・そんなもんなんだなあ

やはり一般職では生活していくだけでいっぱいいっぱいみたいね。

フィリピンに逃亡してこられる方は何かしらの収入を得られる見込みを付けてからでないとやはり困窮邦人まっしぐらじゃシャレにならんし、日本と違って頼れる人が誰もいないという背水の陣はなかなか不安に押しつぶされそうになる。

海外逃亡するくらいだと日本国内でも頼れるところはないのだろうけれど、やはり気分的に国内と国外では大いに違うと思う。言葉の違いも大きいしね・・・


 

年も明けてもうそろそろフィリピンに移住して10年くらいになる。

ブログに来てくださる方もだんだんと増えてきているのだけれど、やはりアクセス解析なんかで見ていると、事情があって検索して 来てるのかなと思うことが多い。

私ももろにそういう事情を抱えてこちらに、いわば逃亡といわれてもしょうがないような状況で来てしまったわけだけれども、いろんなほかのブログやサイトを見ても常に困窮邦人の言葉がちらちらと目についてしまう。

周りに親兄弟、親戚縁者が全くいないところで、1からスタートし、何とかなりかけたころに勤務先の倒産も経験したし、その時の経験はなかなかスリルがあった。

この辺のいきさつは拙著【海外逃亡してしまいました】に書いたとおりだけれど、そんな四方山の経験をフィリピンでしながら何とか10年になろうとしている。

退職金や年金、貯えなどが十分にあってリタイア後の人生を南国で悠々自適に、という方々はさておき、事情を抱えて海外移住を考えている方も多いのではないだろうか。

私の場合は借金抱えて首でもくくらないといけないような状況でこちらに来てしまったわけで、退職金も年金ももちろん貯えもない状態での移住だった。

また最近の日本は放射能汚染など、移住を真剣に考えている人たちも多くなってきているように感じる。

そんな状況からの感想を少し・・・

まず生活を成り立たせていくための収入を得る道を作るのは、普通にはやはり大変だと思う。
日本人向けの求人もこちらにはあり、一般のフィリピン人がもらう給与よりは高いのだけれど、それでも日本人が抵抗ないレベルでの生活をしていくのには十分ではないと思う。

私の場合歯科技工士という技術職が幸いしたのだが、日本ではなかなか日の目を見ない職だけれど、フィリピンではまだまだこれからの仕事でもあり、さらには日本人というブランドに対する期待を裏切らないレベルであったせいか、いろいろと縁に恵まれて今に至る。

日本並みの収入レベルになってきたかと思えるのがようやく今頃である。
日本の一般的な状況が悪化しているようで、その相対的なせいもあるのだけれど・・

そういう状況を作り出すことができた要因、まずは必要とされている技術職だったことと、コミュニケーション能力ではないかと思う。

二つは相関的なところもあり、例えば日本で有能な弁護士であっても英語力がなければその能力はほとんど発揮できないのではないか。

私はもともとしゃべるのは苦手なほうで、それもあって技工士という裏方の職を選んだといういきさつもある。

私の思うコミュニケーション能力というのはもちろん会話が成立する英語力なりあるのは当然だけれど、それで伝えようとするものに意味がなければコミュニケーション自体に意味をなさないと思う。

今まで英検とかTOEFLといったものは受けたことがないので、自分の英語力がどの程度のものなのか数字で判断することができない。
そんな英語力も嫁さんとの出会いから始まり、こちらに来てから必要に迫られて身についていったもので、それほど英語力としては高くないのではないかと思っている。

自分の必要とすることを伝えられるくらいではあるけれど、伝えたいことが自分の中にあってそれが客観的に認められているから今の立場を与えられているのだろうと思う。

相手に不快感を与えずに意味と価値のあるものを伝えることができれば、コミュニケーション能力はあるといっていいのではないだろうか。

あとはしいて言うなら縁かな。
日本から逃亡してきたようなわが身、きれいごとのいいわけといわれるかもしれないが、ここに至るまでに自分の使命のようなものをやはり感じる。
その使命に忠実である限り、天はその道を作ってくれており、それを縁として感じることがこちらに来て多くなった。

たまには真面目な話で・・・・・

フィリピン移住の顛末に興味のある方はこちら 【海外逃亡してしまいました】
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実際私のところにはがきや封書だけでなく督促電話もかかってくるようになるのだが、最初は冷徹に対応してくる相手も、
こちらの誠意を示しつつ説明するうちに言葉のトーンが変わってきたものだった。
電話してくる相手に対しても仕事で毎日こういう電話をかけなければいけないのかと思うと、心から気の毒だとも思うし、
「おまえに借りた金じゃない」なんて開き直ったり感情的になってはいけないのである。

そのころの私の借金の総額は、信販会社2件あわせて約500万円、自分の会社の事業性資金として
銀行からの借り入れ残約300万円、住宅ローンの残600万円くらいだったと思う。
ほかにも個人的な借り入れ200万円と会社の取引先への未払金120万円。当時としてもきちんとした額を
把握してないくらい現状をよく認識できておらず、目先の差し迫った支払いをやりくりしていくので必死の状態、
そこからだんだんとこのままではいずれどうしようもなくなるという不安が大きくなってきて、
それがだんだんと確かなものに感じられるようになってきたのが最初に弁護士に相談に行った時点での状況。

弁護士事務所では女性の事務員とおぼしき方が対応してくれたのだが、こちらを見下すこともなく
親切に対応してくれたのだけれど、いわば情けない状況にありながらも、どこか人事のようにとらえようとする自分がいた。
簡単にいえば現実逃避、別の見方をすればそうしなければ壊れてしまう状態でもあったと思う。

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