海外逃亡してしまいました

保証かぶれや経営する会社の経営不振。これでもかこれでもかと降りかかる災難の中、自殺まで考えたがフィリピン移住に活路をみつけ第二の人生に邁進中。海外逃亡のいきさつからフィリピン移住の参考にまでささやかなお役に立てますように・・

タグ:歯科

ここ3週間ほど休みなしで働いている。

例の日本で販売を開始する製品の試作品、サンプルのバックオーダーがかなりの数あって、しかもサンプルをコンベンションで展示するということで納期が限られていた。

いずれはこちらの人に製作してもらうシステムを作っているのだが、現在のところはまだ十分な場所が確保できていないのと、製作方法はまだ教えていないので結局今のところ自分で作るしかないのである。

通常の技工所での勤務が終わって自宅に帰った後、夜討ち朝駆けでつくり、土曜日曜も結局これに追われてなんだかんだで3週間。

とどめは昨日セミナーがあって、しかもこのスピーカーは私であった。
歯医者向けのセミナーでパワーポイントのプレゼンテーションも作らないといけないのだが、結局サンプルつくりに追われてパワーポイントは当日の朝に早起きして作った。

photo

なかなか一般の人はこれだけの歯型を見る機会はないと思うのだが、セミナーのなかで実習に使った歯型。
あまりリアルなものじゃないけどね。

なんだかんだで無事終わったのだが、しかし、日本だと歯科医師が歯科技工士のセミナーに参加するというのはほとんど考えられないんじゃないかな。

技工士はあくまでも格下に見られているからね。しょうがないけど・・・・

でもここフィリピンじゃそれが起こる不思議。
しかも平日に一日つぶしてセミナーに参加できる歯科医師も不思議だけど、これもまたフィリピンならでは・・

さすがに昨日の時点で体力気力はちょっと限界に近かった。
今週の残りはゆるーくいこう。

まだ例のサンプルは半分ぐらい残っているんだけれど、今月末が締め切りなんでとりあえずペースダウン。

仕事はさらに増え続け、自宅に併設した仕事場もだんだんと手狭になり、しかも従業員を一人雇う必要が出てきたことから、結局はさらに広い仕事場を求め貸し事務所を外に借りることになるのである。

受注する仕事の多様化に応じ機械設備もどんどんと投資していったのだけれど、このころはただ勢いに乗っているだけで収支のバランスとかはまるで考えていなかった。

新しい種類の仕事を受けるために140万円の機械をリースを組んで導入、月々の支払いが2万5千円ほど。
機械を導入することによって受けられる仕事の利益率からいって最低3ケースを月にこなさないとリースの支払い分が出ない。

機械の導入によって既存の仕事がより効率よく捌けるようになって生産性が上がるとか、時間の短縮ができるというのであればいいのだが、そうではなく別の種類の仕事になるため、実質機械が稼働している時間はわずかで、最低ラインの3ケースさえ受注できない月もあった。

仮に3ケースが確保できたとしても、機械の支払いに消えていくのであればよけいに忙しくなるだけで、実質的に売り上げの向上にはつながっていないのである。こういうことにさえ後々になって初めて気づく私は経営者は向かないのだろうと思う、いや、そうやって人間は学んでいくのだろうとも思いたい。

しかしまだこのころは全体の売り上げも高かったため、先行投資とか経営努力などとうそぶくこともできたのである。

新たに貸し事務所物件を見つけ仕事場を移転、従業員も雇い、さらに帳簿管理や申告のために会計士さんにも
月一できてもらうようになった。それまで手書きだった納品書や請求書も専用ソフトの入ったパソコンとプリンターのシステムを導入。これも百数十万円のものをリース。
今にして考えるとインターネットもできないようなDOS/Vのパソコンにドットプリンターだけのシステムだったのだけれど、そういうものがその値段でもまだ売れていた時代なのである。
最もまだインターネットが一般に普及していないころでもあった。

田舎にいちゃバブルの恩恵も感じられないねと、当時は言っていたものだが、今にして思うとそこかしこにバブルの恩恵と言うよりは狂った金銭感覚はあったのかもしれない。

技工所というものは、一般的には過当競争が普通にまかり通っている世界で、単価が安い分長時間労働が当たり前みたいになっているところがあるのだけれど、自分の理想も築きあげたく、価格は高くても品質勝負みたいな勢いで営業して、開業当時はまだ仕事がたくさん取れたのだけれど、やはりそれはバブルの残り香。

開業後5年ほどで知らず知らずのうちにその香りは薄れていった。

歯科技工士というもの

私の職業は歯科技工士、一般にはあまり認知度の高くない職業だと思う。
歯科医師が歯を抜いたり削ったりした後に入れ歯や詰め物、差し歯などを作るのが主な仕事。

高校卒業後だいたい2年間の専門学校教育課程を経て国家試験にパスすると免許がもらえるのだが、
資格取得後一年以内の離職率が70%を越えるともいわれる仕事だ。もちろんいろんな状況はあるのだけれど、
歯科技工業界での定着したイメージは、納期に常に追われた長時間労働、粉塵などの発生する作業も多く
健康にもよろしくない、以前よくきかれた言葉でいう3Kといってもいい職業だ。

私自身も資格取得後、歯科技工所や歯科医院といくつかの職場を経験。最終的には同じ苦労するんだったら
自分でやっちゃえと歯科技工所として独立したのが26歳の頃。
有限会社として立ち上げたものの営業、製作、配達納品、請求業務から集金までと何でも一人でこなす小さな自営業だった。

独立開業した頃はまだ日本もバブルの残り香がある頃で、会社設立に関わる資金300万円のほとんどを銀行からの融資で調達できた。しかも無担保保証人なし。

開業後業績は順調に伸び、勤め人だった頃の給料と同額を稼ぎ出すのが、それまでの労力に比べると拍子抜けするくらいだった。

「もう勤め人には戻れないね、一歩踏み出す勇気があれば楽勝じゃん」
と調子に乗っていたのがこの頃だっけ。

しかし今にして思えばこの頃から金銭感覚が狂っていったのだろう。
独立して程なくそれまでつきあっていた彼女と結婚。仕事は取引先が増えるにつれ設備を増やさざるを得なくなり、
それまでの借家住まいのほかに貸し事務所を物色。

結局借家と貸し事務所では家賃、光熱費など無駄にかかりすぎるため、
それなら一戸建てで仕事場も併設した方がよかろうと新築一戸建てを1500万円ほどで購入。

開業してから1年もたっていない頃で、仕事が順調に延び始めていたとはいえ頭金になるほどの現金も持ってない状態で家を購入するのだから無謀な話である。結局25万円ほどの現金を用意はしたものの、登記手数料や不動産への支払いなどでこれは消えてしまったため、ほぼまるまる1500万円の住宅ローンとなった。

それでも会社の資本金のために銀行から借り入れた300万円のほかに借り入れはなかったこと、
家の購入金額が都会に比べてまだまだやすかったため、月々の支払いに不安を覚えるようなことはなかった。

↑このページのトップヘ