言葉についてすこし・・・・

フィリピン移住を考えたとき、これはフィリピンに限らないことでもあるのだけれど、まず気になるのが言葉の問題ではなかろうか。

ちまたでよくいわれるフィリピンは英語をほとんどの人が話すことができるとか、これは世界第3位だっけ?

これはやはりフィリピンに旅行で行ったり、住んでる日本人にとっては大きいのではないだろうか。

英会話が満足にできない人が多いといわれる日本人ではあるが、やはり基礎的な教育は学校で受けてきているし、正しい文法とか語彙力も決して低いとは思わない。

会話に重点を置いた英語教育じゃないせいで、耳が慣れていないだけの問題だと思う。

フィリピンのテレビは現地公用語であるタガログ語に混じって英語もちょことちょこ聞こえるし、会話自体が突然英語になることもざらだ。 英語だけの番組もあるし、耳が慣れる環境は出来ている。

町にでても看板やレストランのメニューなんかも英語が一般的だし、タガログ語がわからなくてもこちらも基本はアルファベットだから、ぜんぜんわからない文字で書かれてあるより気分的には楽なのでは。

かく言う私の言語レベルはというと、嫁さんと出会った頃はごくごく一般的な日本人レベル、学校ではさほど成績がよかったわけでもないし、受験勉強なんてプレッシャーもイヤで、大学に行くのは早々にあきらめて専門学校に行ったくらいだ。

当時の嫁さんはタガログ語と母方の田舎の言葉セブアノ語、それに4年制大学まで行った彼女はかなりきれいな英語を使うことができる。

そんな嫁さんとの会話には当時辞書が欠かせなかった。しばらく遠ざかっていた英語を、習った範囲から思い出し思い出ししながらの会話はかなりまどろっこしいものがあった。

喧嘩をして問いつめたいことがあっても、頭に血が上った状態ではことさら言葉は出てこないし、そんな私の英語レベルを知っている嫁さんは、私のいわんとしていることが通じてない振りをすれば結局うやむやにあきらめてしまうというのがわかっていた。

そういう状況が悔しくて英語を少し勉強し始めたのだが、といってもNHKラジオのプログラムを仕事しながら聞き流すだけだった。

技工士という仕事柄デスクワークの地味な仕事だし、そのころは特に朝早くから夜遅くまで仕事をこなしていた頃だったので、同じプログラムを一日のうちに何度と聞くような状況だった。

受信料と電気代以外は何のコストもかからないラジオプログラムだが、なかなか優れていると思う。
半年も聞いていると何となく慣れてきたように感じたものだ。

それでもまだまだいいたいことがいえず、聞きたいことが聞けずという不完全燃焼状態はたびたびあった。

ましてやタガログ語をいわんや、である。

フィリピンに来るようになって、当時まだ遠距離交際中の嫁さんの自宅に行くようになるのだが、ちまたではいろいろと悪い情報がはびこっていた。

いわく、兄貴だと紹介された人が実は旦那だったり、案内された家が実は親戚の家で、自分の家にはぼろが出るので連れて行かないとか・・・

そんな目に遭うのはいやなので、英語に平行してタガログ語も覚えないと、と思ったものの、英語とは違いこちらは全くなじみのない言葉である。

フィリピンパブベテランの友人がどっかから手に入れてきた、単語リストをコピーし一生懸命覚えようとするのだが、1から10までの数の数え方からしてぜんぜん頭に入ってこない。

まあ苦労しながらも何とかいくつかのフレーズは覚えて実家訪問に望んだのだが、なんと家族間では通常セブアノ語を使うのである。

このときは家族も気を遣ってくれて、私の前ではなるべく英語で会話してくれていたが、所詮付け焼き刃の我が語学力では何の役にも立たなかった。

実家に行くと父母、姉妹のほかに兄と紹介された男性がいたのだが、ほかの姉妹は色が白いのにこの男性だけ色が黒いのである。

ちまたの黒いうわさが思い出され、疑心暗鬼そのものになった。

ここでその疑惑を解くいい方法をおもいついた。
「子供の頃のあなたがみたいからアルバムを見せて」

フィリピン人は総じて無類の写真好きだから、少々貧しい家庭でも必ずアルバムはあるのだ。

彼女のうちのアルバムをみるとなるほど色の黒い男の子が一人写っているし、件の兄貴の面影も立派にある。

ここで疑惑は晴れるわけだけれど、こういう家族間でも肌の色が微妙に違ったりするのも、やはりいろいろな血が混じった民族故なのだろう。

うちの嫁さんにはスペイン人と中国人が4分の1ずつと残り半分がフィリピン人ということになるらしい。

さてさて、そんなレベルの語学力の私が現在はどんなレベルになったのか。

その後10年くらいで進歩はしたけれど、その後はあまり変わりが無いように思う。

いつも思っていたのが、どんな赤ん坊でも10年も経つと一応言語は不自由しないレベルまでしゃべれるし書けるようになるではないか。

赤ん坊の方が吸収は早いといってもこちらはある程度理論だてて勉強することもできるし、勉強の方法も選べるのである。

そんな私の今の英語だけれど、今じゃ必要に迫られてとはいえ仕事の会議や形式だったスピーチやプレゼンは英語だし、日本にいるとき以上にフィリピン人以外の外国人とも話す機会がたくさんある。
この場合はもちろん英語である。

相変わらず本場のアメリカ映画なんかは半分くらいしか聞き取れないけれど、それでも普段はほぼ不自由なく英語をつかうことができるといっていいと思うかな。

読み書きも時々スペルが怪しいけれど、下手なフィリピン人より日本の教育のたまもので文法的には正しい英語を話し書くことができているのではないか。

それでも未だに英語の本を読むのは億劫だけどね。

一方タガログ語はというと、これはやはり環境であろう。フィリピンに来てからの職場にはずっと日本人が周りにいなかった。英語よりもやはりフィリピン人とはタガログ語での会話が主になってくる。
英語しか離せないとなるとある一定の距離感があるのに、タガログが通じると分かればその距離感が一気に無くなり、こちらがどの程度理解できるかはあまり関係なしに一気にタガログのみの会話になってしまう。 

最初は耳慣れない言葉だったのだが、なれてくると日本人の耳にとっては英語より聞き取りやすいというのが大きいのだと思うが、カタカナで書いたものをそのまま読んでも通じる音、といえばわかりやすいだろうか、言葉の仕組みや組み合わせ自体も英語のそれよりはかなりシンプルにできている。

2つ3つと違う言語を話すフィリピン人はざらにいるため、最初の頃はフィリピン人の言語習得力すげーと思っていたものだが、タガログ語自体がシンプルなため余力があるといえばいえなくもないように思う。

改めて日本語の難しさも認識するわけで、きちんとした日本語が話し読み書き出来れば、英語が話せなくてもそんなに悲観するほどではないのかもしれない。

そんな私のタガログ語の能力はというと、たまに日本人のお客さんなんかと行くこちらのフィリピン人のお店ではしばらくフィリピン人の振りをすることができるくらいにほぼ不自由なくはなすことができる。

英語は中学校から始まって、読み書きから入った言語だけれど、タガログ語の方は聞くことから入って話すこと、最後に書くことと、いわば普通に母国語を赤ちゃんの時から習得するのに近い方法で身につけたため、そのようになったのだと思う。

生まれてこの方いろいろな言語や人種にさらされてきたわが息子はというと、立派に日本語、英語、タガログ語をきれいに使い分けるし、映画も字幕なしで私より聞き取れているようだ。

日本語は後から習得するのはやはり難しいと思ったので、とりあえず学校は日本人学校に入れたのだった。

やはり言葉はできる方が世界が広がるのは間違いない。