海外逃亡してしまいました

保証かぶれや経営する会社の経営不振。これでもかこれでもかと降りかかる災難の中、自殺まで考えたがフィリピン移住に活路をみつけ第二の人生に邁進中。海外逃亡のいきさつからフィリピン移住の参考にまでささやかなお役に立てますように・・

2019年06月

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我がふるさと九州は梅雨入りが遅い記録更新中なんだとか。

マニラ近辺ももう雨季に入っているはずなのに雨が少ないようで、2、3日前からとうとう我が家も断水。

計画断水とかじゃなくて、いきなりアナウンスのあと24時間断水でいつまで続くのかも知らされないまま。

このあたりやはりフィリピンというべきなのか。

今日は張り紙がしてあって、マニラの水がめであるダムがもう1日2日で危険な状態になると、ひび割れたダムの固定の写真と一緒だった。

あいかわらずいつまで続くのかはかいてないし、やはり雨次第なんだろうな。

面白いのは、我が家はちょうどマニラとパラニャーケのちょうど境に位置しており、隣の建物はパラニャーケになるらしい。

コゾーと通ってるジムの入った建物もパラニャーケ側で、ここは普通に水も出ている。

ジムの人に聞いても節水も何もいわれていないし、断水?なにそれ?状態。

水がめが違うといわれればそれまでなんだろうけど、道一本隔てただけでかたや危機感をあおられまくりだし、かたや通常運転。

まだまだ暑い時期なんで停電も辛いものがあるけど、断水もやっぱめんどくさいね。

とりあえずジムに行った時にシャワーと下着の洗濯はすませる日々。

ある技術系の仕事をしていて、じつはほかの国から問い合わせがあったり技術指導に行ったりしている。

最近会った日本人に、「アメリカとかイギリスに行って勉強してきたらいいのに」といわれたことがあって、あーこいつも西洋かぶれかとおもったっけ。

あちらの国の方がなんでも進んでると思っているのな。

元々技術発祥の地はむこうさんだったり、そのせいで使う材料や機械もむこうのほうが選択肢が多かったりするのは事実。

でも、技術を取り入れて消化して進化させる日本人の特性は、もっと世界に誇っていいもんだと思うけどな。

しばらくアメリカ系企業に勤めていて、そこにアメリカ人はもちろんドイツ人なんかもいたけど、かなりの高確率で使えなかったな。
その割に強気で出てくる気質と自分たちがより優れているんだというのがムカつく。

・・・・と、そんなことはどうでもよくて・・・・

昨日も別の国からのお問い合わせ。今度はブラジルからだよ、っていうかこの人はしばらく前にも問い合わせがあったっけ。

技術を習いたいということだったので、セミナーの詳細を送ったら返事がなくなった。

てっきり値段の高さにビビったなと思っていたら、「あの後スマホを無くして連絡先なくなっちゃった」らしい。

どうでもいいけれどポルトガル語で遠慮なくメッセージを送ってくるので、グーグル翻訳のサイトと行ったり来たりで結構面倒。

しかし、ブラジル人の一般的なノリなのか、私のイメージだけなのかかなりノリがいいというかなんというか・・・

いきなり自分の写真を送ってきたりする。いかにもブラジル、サンバのノリみたいなおねーさん。

「あなたの写真もみたい」ってお前仕事の問い合わせじゃなかったっけ?

はてはボイスメールが届いた。

しかし今の技術はすごいね。テキストメッセージならコピペで翻訳できるのは知ってたけど、スマホで再生するボイスメールをパソコンにききとらせて同じように翻訳できる。

その内容に合わせて返信してやると
「あなたすごく頭いいのね」だって。「いや俺じゃなくてグーグルが頭いいんだな」と返しておいた。

セミナーしにブラジルまで行くのも面白そうだけど、このおねーさんのノリだと危ないな。


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あまり今回の話に関連はないけど、これ系の技術。
一応まじめな目的があってミニチュアを作ったんだけれど、逆にこっちの方が評判良くて欲しがる人がいっぱい出てきてる。

アマゾンでうるかぁ?

5ヶ月ほど続いたニート生活。

勤め人時代に減った体重はほぼとりもどしたけど、髪の毛はダメかな・・・
進行は止まったような気がするけど・・・

定収入のある生活は確かに楽なんだけど、犠牲にすることも多くてね。
大多数の人たちはもちろんこれに耐えているんだけれど、一旦ニートになるとなかなか戻るのは容易じゃないなやはり。

マニラの渋滞のなか通勤しなくていいし、肩こりしたらジムに行って運動し熱いシャワーでリフレッシュ。

勤めてる時に悩まされていた夕方4時くらいの猛烈な眠気も、誰はばかることなく昼寝できるし、眠たい時の昼寝のあとの爽やかさはなかなか。

・・・といったピーヒャラした生活を謳歌していたのに、前に勤めていた会社からカムバックの打診。

やめてからもう一年ちょっとか。
かつてのスタッフからはずーとコンタクトがあったので、私がやめた後何が起こったかは知っていた。

倒産寸前でもはやどうにもならずコンタクトを取ってきたというのがどうやら真相のよう。

水面下でなんどもミーティングして、交渉交渉。

内情を知ってるので、こちらが有利な条件でどうにか合意を持つに至った。

そんなわけでもうすぐニート卒業。
社会復帰できるんだろうか?


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コーヒーショップでの最後のミーティングが終わり、概ね合意が得られたときのこと。
帰るのに外に出たら空には彩雲。

たぶん吉兆と思うことにしよう。


中学生の頃だっけか、刀鍛冶になりたいとおもっていた。

刃物にどうしても惹かれるものがあり、今振り返ると少し変わった子どもであったみたい。

今でも変人扱いされてるから一緒か・・・

今日嫁さんが部屋の大掃除をしていて
「あんたの本がいっぱい出てきたよ」といわれた。

ゴキブリが卵を産み付けないようにと、そういえばだいぶ前に衣装ケースにまとめてうつしたんだった。

開けてみると一番上に置いてあったのがこの本。


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思えば自分のモノづくりの原点となった本かもしれない。

正確な年は覚えていないけれど、出版が1977年。
計算すると私が中学生になりたての頃か・・・

なんかの雑誌でこの本のことを知り、東京の刃物屋さんだったと思うけど手紙を書いたりどうにかこうにかして、手に入れた本だった。

今みたいにアマゾンもないし、通販というものもなかった頃。
多分ためた小遣いを現金書留かなんかで送ったんじゃなかったっけか。

今でも覚えている4千8百円だったはず。

もう40数年以上前のことなんで、今の金額に直すとそれなりに田舎の中学生にとってはかなりの金額だったはず。

郵便で届いた分厚い封筒を目ざとく親父に見つかってしまってビクビク。

購入したことを怒られはしなかったものの
「4千8百円も出すんなら、いいナイフ買えたんじゃね?」といわれた。

それにたいして
「4千8百円じゃ自分の望むナイフは買えないんで、それよりも作り方勉強した方がよくね」
と言いたかったのだけれど、当時から立派なコミュ障だった自分、さらに親父には萎縮していたので後半の文句がいえなかった。

その言葉足らずの答えが親父の逆鱗に触れたようで、しばらくギャーギャー怒られた覚えがある。

でもその時は早く開けて中身をみたい一心で、馬耳東風。
・・で開けてみてショック!


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なんと、当たり前のことだけれど全部英語でかかれていた・・・

まだ中学生になりたてで「ジスイズアペンとかマイネームイズ」とか習っている頃のこと、読めるわけがない。

それでも写真を何度もなんども見返しては、何が書かれているのかを必死こいて理解しようとした。

すでになくなってしまったアメリカンカスタムナイフの神様的なボブラブレスもうつっている。

当時の実家はまだ五右衛門風呂、風呂焚き当番の日にはかまどで釘やら針金やらを赤く焼いてトンカチしたり、折れたノコの刃なんかをもらってきては、手回しグラインダーで削ってナイフにしたりと、鍛冶屋もどきのことを始める多感な少年時代だった。

技工所を独立開業してからは、この本に出ているベルトサンダーという、いかにも工業機械なものをアメリカから取り寄せて、ナイフ屋にまで発展させナイフ作り教室なんてものもやっていた。

写真の本の上に乗っけているナイフはその時の生徒さんが作ってくれたもの。

もう少し仕事頑張ったら、ちと騒音で周りに迷惑のかからない所に引っ越し、鍛冶屋をやろうと目論んでいる。

この計画を嫁さんは知らない・・・ふふ

つい二度寝してしまって遅いランチとなった昨日の日曜日。

世間では父の日なんだとか。
うちの嫁さんが「飯ご馳走してやる」というので、近所のモールへ。

ご馳走してくれるといっても、予算の出所は結局同じところなんだし、しかもその源泉はニート状態じゃないか。

・・・・というようなネガティブ要素を考えてもしょうがないんで、筋肉がつくように焼肉にした。

この辺のあしたのことは考えないという思考は、生来のズボラな性格の上にフィリピンのバハラナ気質にどんどん埋もれてさらに磨きがかかっているな。

バハラナというのはタガログ語で なんとかなるやろ的な意味合い。

その昼もだいぶまわって訪れたちょっと高級系のモール。

一回のフロアでイベントみたいなのがあり、目ざとく見つけたこぞーが「おやじおやじ!」と呼ぶ。

見ると我が憧れの赤いバイクが何台か展示されてるじゃないか。


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実は30数年前はバイクに狂っていた時期があり、つるんで走る系のやつじゃないけれど、集合管なんてものをつけてウォンウォンいわせていたのである。

いまだ密かにでかいバイクに乗ることを心に秘めて、購入するバイクまで決めてあるんだな。
まぁまだちょっと先やろうけど・・・といいながら体力脚力の衰えもあるんではよせんとね。

その脚力の衰えで心配なのがやはりバイクにまたがった時の足付き性。
実車を間近で見れる機会はそうそうないのでまたがってみたかったけど、衆目の環境じゃちょっとな・・・


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しかも父の日のイベントということなんだろう、またがると360度ぐるりと写真かビデオかを撮ってくれるサービスにまでなってけつかる。

シャイでコミュ障の私はそっと立ち去ったのであった・・・

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