海外逃亡してしまいました

保証かぶれや経営する会社の経営不振。これでもかこれでもかと降りかかる災難の中、自殺まで考えたがフィリピン移住に活路をみつけ第二の人生に邁進中。海外逃亡のいきさつからフィリピン移住の参考にまでささやかなお役に立てますように・・

2018年09月

「これは洗濯機で洗っていい?」と朝から嫁さんが聞いてくるので、何かと洗濯機の中を覗くと懐かしい見覚えのある色。

グリーンのだいぶ色あせた寝袋。

そうキャンプで寝るときに使うあれ。

買ったのはもう30年くらい前になるはず。
当時キャンプだシーカヤックだとアウトドアでの遊びにはまっていた頃に、知り合いのアウトドアショップで購入したもの。

使用できる環境温度は確か氷点下だか0度まで大丈夫だったはず。
ダウンのわたでもないのでコンパクトさからは程遠いサイズだけれど、とりあえずこれがあれば凍死することはなかろうという安心感がある。

借金にまみれて明日の支払いに途方に暮れていた日々、頭は金策と心配事でヘロヘロになりながらも体は疲れていないし寝れない・・・・


そんなときにこの寝袋に入ると全身が包まれる感じでつかの間安心して眠れる。
胎内回帰というか現実逃避だったかな。

頻繁に使うものでもなかったというのもあるけれど、30年経った今でもどこも破れていないしいつでも使える状態にある。

改めてしげしげとみればモンベルというところのタフバッグという商品名になるほどと納得。

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長らく経営していた技工所を人に譲渡して、フィリピンに旅立つまえ一年ほど関西にしばらく単身で住んでいたことがあった。

嫁さん子供はすでにフィリピンに退避させていた頃だったか。

その時の引っ越し荷物はみかん箱2個で、引っ越し先としてお世話になる方に、
「それで荷物全部なの?」と驚かれたっけ。

「布団はどうするの?」

「この箱に入ってますよ」

そう、この寝袋がそのみかん箱に入っていたのだった。

それでそのままの流れでフィリピンにまで持ってきてしまっていた。

厳冬期にも使用できる寝袋だから、もちろんフィリピンで必要となることもないんだろうけどね。

ひさしぶりに見たこの色あせたグリーンであの頃の思い出が蘇ってきてしまった。



なんか日本からのお客さんや仕事の問い合わせが結構ひっきりなしで、日本の歯科界はなんとなく瀬戸際に来ているのか大転換期に来ているのかと感じるこの頃。

先日来られたお客さんは時計も好きだとのことだったので、フィリピン観光のついでにパチモン屋さんにもお連れした。

結構おねいちゃん目的の日本人が手軽にいくマニラの場所、というとエルミタ地区かな?

やりたい目的ならちょっと遠いアンへレスまで近頃は行くのだとか。

まだそういうところに時間かけて行くうちはやはり観光客なんだな。

近場でディープなところはいくらでもあるような気がするけど、やはりある程度こちらに住まないとわからんよね。

・・・で、そのエルミタ地区にあるロビンソンというモール。

そういえば私が最初にフィリピンに来た時に泊まったホテルがこのモールのすぐそばだったっけ。

今ではそのホテルは取り壊されて、モールの一部になっている。

ホテル跡に新しくできた部分はそれなりにきれいだけれど、一部には怪しげなところも残っていて、普通の小ぎれいなだけのモールに行くよりは面白いかもね。

この一角にパチモン屋さんばかり集まったところがある。

だいぶ以前は一階にごちゃごちゃチャンゲといわれる小さいお店がひしめいていたけど、さすがにおおっぴらにパチモノを並べるのは如何なものか、ということなのかちょっとわかり辛いところに追いやられている。

わかり辛いところにあるだけに、客引きのおかまさんなんかがもう少し目立つところに出て来て声をかけるのがうざい。

近づくと「トモダチアルー?」とか「トケイサガシテルー?」とか日本語で声をかけてくる。

やはり日本人は得意客(カモ?)なのか・・・

何を隠そう私はそのトモダチがいるクチなので、向こうから見つけてお出迎えしてくれる。

ずっと気に入って使っていたロレックスのサブマリーナのパチモンは壊れて放置したまま。

外装を自分好みに改造していたので、同じものがあったら買って中身だけ移植しようかと常々考えていた。

でも、パチモンもそれなりに流行りを追わないといけないのだろう、サブマリーナでも多分新作?のものばかり。

自分のものより大ぶりのようで中身が移植できるかどうかわからない。

あまりキラキラしているとお金持ちに見られて困るので、以前のものは外装をちょっとヤレタ感じに改造していた。

また新しいものを買って改造するのも面倒だし、と思っていたら黒く塗装されたパチロレが・・・・

持ってみると筋トレができそうなくらいに重い・・・

でも本来はダイバーズらしく、ウェットスーツ着用時にブレスの長さを簡単に変えられるようになっているのが気に入って結局購入。

本来これに該当するモデルがあるのかわからんけど、まあそういうことはどうでもいい。

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6時位置の指標が微妙に曲がっているのもパチをさりげなく主張していて好ましい。

黒の塗装がちょっと側面でムラになっているのも、すでにヤレた感じで好都合。

ちょっと気に入っている・・・


私のビザは嫁さんがフィリピン人なので13Aという種別になり、永住権がある。

永住権のほか仕事の制限がなかったり、結構通常のワーキングビザに比べて有利なことが多い。

ワーキングビザだと1箇所からしか収入が得られないんじゃなかったっけ?しかも収入にかけられる税率が高い。

13Aビザだと仕事も複数掛け持ちできて、税金も普通のフィリピン人並みじゃなかったかな。

これはワーキングビザの人は外からの人で、フィリピンで稼いで外に持って行く人だから制限かけちゃえ、13Aビザはどうせピーナに絡め取られた人間で、フィリピンで稼いだ金もフィリピンで消費するんだろうからせいぜい頑張ってもらおうか、ということなんだろうと一人で納得している。

この、長くこちらに住む外国人はIカードと呼ばれる身分証を作らないといけない。
これにビザの種別なんかも書かれているな。

毎年アンニュアルリポートと行ってイミグレーションに行って手続きしないといけない。

そのほか身分証自体に有効期限があり5年なんかな?私のものは来週で切れてしまうので、行けるうちに行っとこうと久々のイミグレーション。

朝から行ったのにすでにたくさんの外国人でごったがえしている。

手続き自体は申請書をもらって記入し、あとは窓口を渡り歩くだけ。

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住所なんかに変更がなければ、あとはあちこちいわれるがまま窓口に行き書類をもらったり支払いをしたりで終わるのだが、そういえば私の住所は建物は同じだけれど部屋を移っている。

ついでにと思って住所変更のところにきちんと書いたら、窓口のお兄ちゃんに
「住所変更したんならバランガイのクリアランスがいるよ」といわれる。

今更また戻って別の書類を用意して・・・というのはどう考えても嫌だったので、

「部屋を移っただけで部屋番号が変わっただけだからいいじゃん」というと

「いやでも引っ越したんですよね?じゃだめ」だと

「いやいや、部屋が一個ずれただけだから、そんなら前の住所のままでいいから住所変更なしでお願い」

厳密にはダメなんだろうけどね。日本のお役所だとどうなんだろう?

そういえば前に嫁さんの手続きで品川の入管に行った時のこと。

本当は以前の住所地最寄りの入管に行かないといけないので、この場合福岡の入管に行かないといけなかった。

ちょうど仕事で東京に行ったので、旅費を浮かすために嫁さん同行でダメ元で品川の入管に行った。

やはり窓口でそれを指摘されたけれど、この手続きのためにわざわざ福岡に行くのは難しい、と食い下がった。

「じゃあその旨を書類の備考欄に書いてみてください」といわれた。

備考欄じゃおさまらず裏面にまで及んで切々と窮状を訴えたら、特別に品川で手続きしてくれたっけ。

対して、今日のイミグレーション。
窓口のお兄ちゃんはこそっと
「じゃあもう一回申請書の用紙もらって書き直して次の窓口に持って行って」だと。

ナイスじゃないかおにいちゃん。

こういう時にあまりこちらが横柄な態度をとると多分お兄ちゃんも意固地になってしまうんだろう。

もうそういう空気はこちとら読めるようになってるんだぜ、と無事更新終了。

最後の窓口で2720ペソ払って終わり。

払ったはいいけれどIカードはそのままだし、カードには有効期限も書かれている。

窓口のおっさんに「この次はどこに行くの?」と聞けば「終わったよ、また来年な」だって。

来年というのはアンニュアルリポートのことなんだろう。

念のため別の窓口の姉ちゃんに聞いても、カードはそのままらしい。まあいいか・・・

ちなみに今のイミグレーションは以前と違ってきれいで明るくなり、袖の下もいらなくなっている。

そういえば2720ペソ払うのに100ペソ紙幣の手持ちがなかったので1000ペソ紙幣3枚と20ペソ紙幣一枚の3020ペソ払ったら、窓口のおっさんはしばらく悩んでいた。

ついには電卓を取り出し計算を始めた。
電卓に表示されたー300ペソというのを私に突きつけてきて、確認を求めている様子。

やはりフィリピン人は暗算が得意じゃないらしい。

日本人にならごく簡単な計算を暗算でやって、驚愕の目でみられたこともどっかであったしな。


最近は副業の位置付けだった自分の仕事がなかなか忙しく、嫁さんもかなり活躍してくれている。
その分しっかり割前を取られるけどね・・・・

二人でバタバタと仕事を終えて一緒に帰宅。
晩御飯作る気力はないというので、自宅近くの某ホテルの日本食レストラン。

ここは日本人の板さんがいるので間違いない日本食を出してくれる。
・・・といいながらこの間行った時にはタイミングが悪かったのか、彼がいなかったみたい。

焼きおにぎりを頼んだら、明らかにフライパンに油引いて焼いたおにぎりが出てきたけどね。

しかしこの日は板さんはいた。
お出迎えしてくれるなり、「今日はサンマの生きのいいのが入ってますよ。生でいけまっせ」
ということだったけれど、そういえばサンマって生で食ったことないな。

やはりここは定番で「焼いてサンマ定食みたいなのできますか?」と聞けばOKだとのこと。

サンマの時期って今だったっけ?と日本の季節感から離れた生活が長いとピンとこない。

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しばらくして出てきたサンマ定食はまさしくサンマ定食だった。

やはり時期が早いのか脂はそれほどのってなかったけど、おいしくいただきました。

割前を受け取って懐のあたたかい嫁さんが支払いは済ませてくれた。

定食800ペソというんでてっきり二人前かと思ったら一人前だって。

すげー贅沢をしてしまった気分。


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