海外逃亡してしまいました

保証かぶれや経営する会社の経営不振。これでもかこれでもかと降りかかる災難の中、自殺まで考えたがフィリピン移住に活路をみつけ第二の人生に邁進中。海外逃亡のいきさつからフィリピン移住の参考にまでささやかなお役に立てますように・・

2017年01月

少しフィリピンのダークサイドな部分を・・
 
私自身は一応ポンコツとはいえ自家用車があり、ほとんどドアツードアで移動できるためこの10年余り住んで危険な思いをしたことはない。

必要以上にフィリピンは危険な国と多くの日本人はおもっているようだけれど、もちろん情報に限りがあるためしょうがないね。

時々私の兄なんかからも心配して連絡がきたりする。

だいたいが時々報道されるフィリピンのニュースを見てのことだけれど、場所的にぜんぜん違う島のことでも、日本から見ると同じフィリピンのこととして見られてしまうせいもあるみたい。

私が暮らしたこの10年余りでもびっくりするくらい、フィリピンはいろいろと発展している。

日本で時々起こる予測不可能な通り魔的犯行に比べれば、フィリピンはまだ予測可能なことが多いだけに、注意のしようもあるだけましじゃなかろうかとおもうことがある。

そうはいってもやはりときどきは身近に何らかの被害にあった話を聞くんだけれどね。

うちの会社の建物でも、給料日にビルを出たところでホールドアップにあったとか、通勤途中のジープニーの中でホールドアップにあった、携帯電話を盗られたなどなど。

あと街中でよく見かけるのが電柱に張られた貼紙。 
行方不明者を探す貼紙 のようで、不明者は年齢も性別もさまざま。

日本だとニュースで報道されるレベルなんじゃないかとおもうけれど、こちらではありきたりなのか結構この手の貼紙を見かける。

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どういういきさつで不明になっているのかはいまだに聞いたことがない。




 

マニラ湾に面したビルの中のクリニックにお呼ばれ。

一仕事終えてビルから出てきたらすでに12時を回っていた。

隣には結構な高級リゾートホテルが立っているし、ここのエントランス周りにはやしの木がいっぱい植わっていて、たぶんこのホテルに泊まって中から出てくると、やしの木陰から望むマニラベイにそれなりにリゾート気分になろうと思う。

車は嫁さんが買い物に使っているらしく、到着までしばらく時間がかかりそうなので、マニラ湾に面した外の吹き抜けで座って待っていた。

1月はフィリピンも常夏の国とはいえ、気温はうだるような暑さまでは行かず、乾燥した風もあって日陰だとなかなか心地よい。

黙って待っているのももったいないので、嫁さんが作ってくれた弁当を食べることにする。

周りには何を待っているのか、何人も同じように座っているんだけどね。

恥ずかしい気持ちよりも、この気持ちのよい風に吹かれつつ、マニラ湾を眺めながら弁当を食べるとちょっとした遠足気分になるんじゃね、とおもいちょっと遅めのランチ。

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さすがにバーナーまでは用意していなかったので温めることはできなかったけれど、
それでもマニラ湾を眺めながらのランチは、隣のリゾートホテルのランチよりもうまかった(想像)
 

今の嫁さんと初めて知り合った頃、彼女は全く日本語は知らなかった。

こちらもタガログ語はぜんぜん知らなかったし、意志疎通といえばボディーランゲージか英語だけ。

嫁さんは大卒でちゃんとした英語をはなせるのだけど、私の方はいわゆる一般的な日本人。

それまで英語を使うような機会もほとんどなかったし。

今でこそ何とか意志疎通には苦労しなくなったけれど、当時は逢瀬の度に辞書を持って行く必要があったっけ。

「ある日突然英語が耳にすんなり入ってきて意味が分かる」というような英会話教材の宣伝文句をホントかいなと思いながら、かといって貧乏性の私にはお金を出してまで勉強する気はなかった。

んで、どうやって勉強したかというと、NHKラジオ。

ちゃんと受信料は払っていたので、厳密には無料じゃないのだろうけど、それでもこと英語に関しては初級からビジネス英語までかなりのプログラムがあるのは、必要としている人にはすごいことじゃないかと思う。

技工士という仕事柄、ラジオは仕事中いつもつけておけるので、当時はずっとNHK第二オンリー。

時々「おはなしでてこい」とか「真打ち競演」などもあり、そういえばこれがきっかけで落語も聞くようになったんだったな。

あれからかなりの年月がたっているのだけれど、ある日突然英語がすらすら入ってくる、というのは未だ経験なし。やっぱただの宣伝文句だったのだろうと思うことにしている。

英語の映画を見ても相変わらず半分もわからないことが多いけど、そういえばこういう部分は前は聞き取れなかったよな、と思うことがある程度か。

うちのコゾーの場合は、どうやらわかっているみたいでパソコンでYoutubeとかも英語日本語タガログ語関係なしに普通に見てケラケラ笑っていたりする。

やっぱり小さな頃からの環境は大きいんだな。

フィリピンに来て10年以上。
今は英語タガログ語ともに、言葉で苦労することはいつの間にかなくなっているけれど、かといってそれほど当初と比べて語彙が増えたとか、という気もしていない。

やはり雰囲気と慣れがおおきいのかな。
相手が初対面で、こちらのことを日本人と思って会話を始めると通じないことが多かったりするのは、たぶんこちらがタガログ語でしゃべってくるとはおもっていなくて、耳と脳味噌の準備ができていないせいなんじゃないかと思う。

うちのスタッフなんかとしゃべっていても、「あー通じてないな」と思いながらしゃべっていることもよくあるけれど、考えてみたら日本人相手に日本語でしゃべっても通じていないことはよくあるくらい、元々は口べただし、別の言語になったらさらにわけわからんようになるのは当然と最近は開き直っている。

むこうもおそらくこの人のいうことはいつも支離滅裂でわからんと思っているんだろうしね。

最近みた留学の案内に「英語を学んで世界を変えよう」というのがあったっけ。世界を変えれるような人は別に言葉は大した問題なんじゃないかとおもうんだけどな・・・

表題のとおり日本人の技工士さんを募集しています。

だんだんと所帯が大きくなってくるにつれ、スタッフの管理もそうなんだけれど、
品質の確保がやはりフィリピンでは限界を感じることがしばしば。

いろいろと経験者を配置換えしたりして使ってみたのだけれど、今度はプレッシャーに負けてやめることになった。

しばらく前にイギリスかどっかで長く技工所をやっていたという日本人の方が、なんか役に立つことがあればということでこられた。

幸い英語がまあまあできる方だったし、しばらくフィリピンで暮らしてみたいというので、
ラボのすぐ近くに部屋を用意して、大画面テレビも運び込んでいわば住み込みで技術指導に来てもらった。

ちと年配の方で独身でもあったので、伴侶でも見つかればという期待もあったみたいだけれど、そこはかなわなかったみたい。

こういう形で短期で働いてみたい方、もしくは私的には品質管理なりプロダクションマネージャー的な仕事ができる人がいれば大いに助かるかな。

もしわれこそは、と思わん方がいらっしゃったらご連絡お待ちしてます。

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サービスカット
アンチの後昼寝する受付嬢。

ふとももがきになりますねー

日本だとこんな写真撮ったら訴えられるのかな?
 

フィリピンは自転車の活躍がめざましい。

日曜の朝に開催されている自転車マーケットに行くと結構なおっさんたちが、結構なロードバイクやマウンテンバイクに乗って集まっているというのは以前書いたっけか。

夜になるとちょっと小洒落た格好のピスト小僧がコンビ二前なんかでたむろしている。

それとは別に実際に仕事に使われている自転車が多く、殆どはBMXというタイプ。

なんでBMXなんだろうと思ってみていると、ロードバイクなんかに比べて小柄なので足つきが良いのが一番なんだろう。

あとタイヤが太いのがいいのかな。

シートとハンドルの間のフレームに小さな木の板を固定して、そこに人を載せたり、プロパンガスのボンベを載せて器用に運んでいたりする。

もっと構造が複雑なものだとやはりトライシクル。

サイドカーよろしく横に鉄製のフレームをつけて座席と屋根がついている。

休憩時間や夜にはそのままその座席で寝ているのもよく見かけるし。

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このトライシクルよく見るとブレーキは足踏み式。
改造してペダルが付いており、踏むと後ろのタイヤに板が押し付けられてブレーキが掛かるようになっている。

最初なんでわざわざこういうブレーキにするのかわからなかったけれど、乗客を乗せたときなどはとくに、前のタイヤでブレーキをかけると回転してしまうんだろうと想像している。

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こちらは水を運ぶ用途に特化したもの。

蛇口からの水が直接飲めないフィリピンでは、この自転車の奥に見えるような浄水したものをタンクで売っているところが多い。

配達にはこの自転車が活躍しているのだろう、結構な数のタンクを運べるようになっている。

我が家にも一台、コゾーに最初に買ってやった自転車をとってある。

これもBMXでそのままはたらく自転車に流用できるサイズと形。

いざとなったらこれで生活の糧は稼ごうと、最後の砦にとってある。

以前日本で破産しかかったときに、自己破産や民事再生といった手続きの方法を弁護士事務所に聞きに行ったことがある。

借金でにっちもさっちもいかなくなっていた頃のこと。

どんだけ自分馬鹿なんだよ、とおもったのは弁護士事務所に手続きを依頼すると手数料がかかるということに考えが及んでいなかった。

目の前の借金を火の車を転がしながら返して、どうにもこうにもいかなくなって駆け込んだ先が手数料払えなくて手続きしてもらえない。

知り合いの先輩に「普通は手続費用くらい残してから破産手続きするもんなんだよ」と冷たく笑われたことは、意外と今に至るバネの一つになっているのかもね。

フィリピンでは日本人が破産手続きできるのか詳しくないけど、日銭を稼ぐ手段があれば生きていけるかと、コゾーも乗らなくなったBMXは今やお守り的存在。

 

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