海外逃亡してしまいました

保証かぶれや経営する会社の経営不振。これでもかこれでもかと降りかかる災難の中、自殺まで考えたがフィリピン移住に活路をみつけ第二の人生に邁進中。海外逃亡のいきさつからフィリピン移住の参考にまでささやかなお役に立てますように・・

2014年11月

クリスマスシーズン真っ盛りのこの時期、人々のもうひとつの楽しみはボーナス。

こちらでは13th month payといって、正社員にはこの時期、一か月分まるまる余分に支払わないといけない決まりがある。

会社の業績が悪かろうが必ずこれは支払わなければいけないらしいので、最低限1か月分のボーナスは正社員であれば保証されているということになる。

日本のように年2回賞与があるという会社はほとんどきいたことがないので、こちらではこの13ヶ月目の給料が唯一の希望という趣がある。

ただしはじめに書いたとおり正社員のみの恩典で、働き始めて6ヶ月に満たない社員やパートタイマーには支給されない。

一見最低一ヶ月の賞与が保証されているのはいいことに思えるのだが、無職率も高いフィリピンでは雇う側では従業員をともすれば使い捨てのように見るところも多い。

あまり専門的なスキルが必要とされない仕事ではこれが顕著で、大きなスーパーのレジ係とか売り子さんは大体働き始めて6ヶ月になる前に切り捨てられてしまうことが多い。

そうすれば13ヶ月賞与とかその他の正社員に対する恩典をつけずに従業員をつかえるということになる。

これは雇われる側も承知済みのところがあり、6ヶ月たって正社員になる前に切られてしまうというのは自覚しているようだ。

当然そこで努力とかするはずも無く、普段の態度にも見て取れる。

フィリピンに来た最初の頃、モールの中のスーパーに爪切りを買いに行ったことがある。

なかなか見つからず近くにいた女性店員に場所をたずねたところ、あごでしゃくって売り場を指し示されたことがある。

日本ではなかなか考えられないことで、フィリピンが初体験だった私は結構なショックを受けた覚えがある。

なんかたずね方が失礼だったのか? 
いやいや、爪切りはどこにおいてあるかときいただけだし。
もしかしたらどっかのあの女性に会ってなんか失礼なことをしたっけ?
でもまだフィリピンに来たばかりでどこにも出歩いていない・・・・・

頭の中は疑問だらけだったが、後で現地の人に聞けばそれが普通なのだとか。
こちらに住んで長くなるが、中にはきちんとした対応や丁寧な対応をしてくれる店員さんに出会ったこともあるが、やはりおおむねそんなもんだ、慣れたけどね・・・・

たまに日本に行くと店員さんたちの丁寧さが感動的だったりする。

6ヶ月ごとに切られるシステムも、よく言うならその分ほかの人にも仕事の機会が回ってくるといえなくも無い。
これも労働人口の多さによるところでもあるのだろうけど、つくづくフィリピンの資源は人材なのだと思えてくる。

枯渇することの無い資源というと失礼かな?

言葉についてすこし・・・・

フィリピン移住を考えたとき、これはフィリピンに限らないことでもあるのだけれど、まず気になるのが言葉の問題ではなかろうか。

ちまたでよくいわれるフィリピンは英語をほとんどの人が話すことができるとか、これは世界第3位だっけ?

これはやはりフィリピンに旅行で行ったり、住んでる日本人にとっては大きいのではないだろうか。

英会話が満足にできない人が多いといわれる日本人ではあるが、やはり基礎的な教育は学校で受けてきているし、正しい文法とか語彙力も決して低いとは思わない。

会話に重点を置いた英語教育じゃないせいで、耳が慣れていないだけの問題だと思う。

フィリピンのテレビは現地公用語であるタガログ語に混じって英語もちょことちょこ聞こえるし、会話自体が突然英語になることもざらだ。 英語だけの番組もあるし、耳が慣れる環境は出来ている。

町にでても看板やレストランのメニューなんかも英語が一般的だし、タガログ語がわからなくてもこちらも基本はアルファベットだから、ぜんぜんわからない文字で書かれてあるより気分的には楽なのでは。

かく言う私の言語レベルはというと、嫁さんと出会った頃はごくごく一般的な日本人レベル、学校ではさほど成績がよかったわけでもないし、受験勉強なんてプレッシャーもイヤで、大学に行くのは早々にあきらめて専門学校に行ったくらいだ。

当時の嫁さんはタガログ語と母方の田舎の言葉セブアノ語、それに4年制大学まで行った彼女はかなりきれいな英語を使うことができる。

そんな嫁さんとの会話には当時辞書が欠かせなかった。しばらく遠ざかっていた英語を、習った範囲から思い出し思い出ししながらの会話はかなりまどろっこしいものがあった。

喧嘩をして問いつめたいことがあっても、頭に血が上った状態ではことさら言葉は出てこないし、そんな私の英語レベルを知っている嫁さんは、私のいわんとしていることが通じてない振りをすれば結局うやむやにあきらめてしまうというのがわかっていた。

そういう状況が悔しくて英語を少し勉強し始めたのだが、といってもNHKラジオのプログラムを仕事しながら聞き流すだけだった。

技工士という仕事柄デスクワークの地味な仕事だし、そのころは特に朝早くから夜遅くまで仕事をこなしていた頃だったので、同じプログラムを一日のうちに何度と聞くような状況だった。

受信料と電気代以外は何のコストもかからないラジオプログラムだが、なかなか優れていると思う。
半年も聞いていると何となく慣れてきたように感じたものだ。

それでもまだまだいいたいことがいえず、聞きたいことが聞けずという不完全燃焼状態はたびたびあった。

ましてやタガログ語をいわんや、である。

フィリピンに来るようになって、当時まだ遠距離交際中の嫁さんの自宅に行くようになるのだが、ちまたではいろいろと悪い情報がはびこっていた。

いわく、兄貴だと紹介された人が実は旦那だったり、案内された家が実は親戚の家で、自分の家にはぼろが出るので連れて行かないとか・・・

そんな目に遭うのはいやなので、英語に平行してタガログ語も覚えないと、と思ったものの、英語とは違いこちらは全くなじみのない言葉である。

フィリピンパブベテランの友人がどっかから手に入れてきた、単語リストをコピーし一生懸命覚えようとするのだが、1から10までの数の数え方からしてぜんぜん頭に入ってこない。

まあ苦労しながらも何とかいくつかのフレーズは覚えて実家訪問に望んだのだが、なんと家族間では通常セブアノ語を使うのである。

このときは家族も気を遣ってくれて、私の前ではなるべく英語で会話してくれていたが、所詮付け焼き刃の我が語学力では何の役にも立たなかった。

実家に行くと父母、姉妹のほかに兄と紹介された男性がいたのだが、ほかの姉妹は色が白いのにこの男性だけ色が黒いのである。

ちまたの黒いうわさが思い出され、疑心暗鬼そのものになった。

ここでその疑惑を解くいい方法をおもいついた。
「子供の頃のあなたがみたいからアルバムを見せて」

フィリピン人は総じて無類の写真好きだから、少々貧しい家庭でも必ずアルバムはあるのだ。

彼女のうちのアルバムをみるとなるほど色の黒い男の子が一人写っているし、件の兄貴の面影も立派にある。

ここで疑惑は晴れるわけだけれど、こういう家族間でも肌の色が微妙に違ったりするのも、やはりいろいろな血が混じった民族故なのだろう。

うちの嫁さんにはスペイン人と中国人が4分の1ずつと残り半分がフィリピン人ということになるらしい。

さてさて、そんなレベルの語学力の私が現在はどんなレベルになったのか。

その後10年くらいで進歩はしたけれど、その後はあまり変わりが無いように思う。

いつも思っていたのが、どんな赤ん坊でも10年も経つと一応言語は不自由しないレベルまでしゃべれるし書けるようになるではないか。

赤ん坊の方が吸収は早いといってもこちらはある程度理論だてて勉強することもできるし、勉強の方法も選べるのである。

そんな私の今の英語だけれど、今じゃ必要に迫られてとはいえ仕事の会議や形式だったスピーチやプレゼンは英語だし、日本にいるとき以上にフィリピン人以外の外国人とも話す機会がたくさんある。
この場合はもちろん英語である。

相変わらず本場のアメリカ映画なんかは半分くらいしか聞き取れないけれど、それでも普段はほぼ不自由なく英語をつかうことができるといっていいと思うかな。

読み書きも時々スペルが怪しいけれど、下手なフィリピン人より日本の教育のたまもので文法的には正しい英語を話し書くことができているのではないか。

それでも未だに英語の本を読むのは億劫だけどね。

一方タガログ語はというと、これはやはり環境であろう。フィリピンに来てからの職場にはずっと日本人が周りにいなかった。英語よりもやはりフィリピン人とはタガログ語での会話が主になってくる。
英語しか離せないとなるとある一定の距離感があるのに、タガログが通じると分かればその距離感が一気に無くなり、こちらがどの程度理解できるかはあまり関係なしに一気にタガログのみの会話になってしまう。 

最初は耳慣れない言葉だったのだが、なれてくると日本人の耳にとっては英語より聞き取りやすいというのが大きいのだと思うが、カタカナで書いたものをそのまま読んでも通じる音、といえばわかりやすいだろうか、言葉の仕組みや組み合わせ自体も英語のそれよりはかなりシンプルにできている。

2つ3つと違う言語を話すフィリピン人はざらにいるため、最初の頃はフィリピン人の言語習得力すげーと思っていたものだが、タガログ語自体がシンプルなため余力があるといえばいえなくもないように思う。

改めて日本語の難しさも認識するわけで、きちんとした日本語が話し読み書き出来れば、英語が話せなくてもそんなに悲観するほどではないのかもしれない。

そんな私のタガログ語の能力はというと、たまに日本人のお客さんなんかと行くこちらのフィリピン人のお店ではしばらくフィリピン人の振りをすることができるくらいにほぼ不自由なくはなすことができる。

英語は中学校から始まって、読み書きから入った言語だけれど、タガログ語の方は聞くことから入って話すこと、最後に書くことと、いわば普通に母国語を赤ちゃんの時から習得するのに近い方法で身につけたため、そのようになったのだと思う。

生まれてこの方いろいろな言語や人種にさらされてきたわが息子はというと、立派に日本語、英語、タガログ語をきれいに使い分けるし、映画も字幕なしで私より聞き取れているようだ。

日本語は後から習得するのはやはり難しいと思ったので、とりあえず学校は日本人学校に入れたのだった。

やはり言葉はできる方が世界が広がるのは間違いない。

私は酒を飲まないし、タバコもずーとまえにやめている。
どっちかといわなくてもシャイなほうなので、夜の世界はあまり得意ではない。

だからフィリピンに住んではいるけれど、フィリピンパブとか普段はまず行くことがない。

それでもたまに日本からのお客さんが来ると付き合わざるを得ないときがあって、まあ、シャイといいながら若い子は嫌いじゃないのでフィリピンパブにも案内というスタンスでお付き合いすることがある。

以前は日本人のお客さんに混じって、タガログ語が分からないふりをして、おねえちゃんたちが仲間内ではどういう会話をするのか聞き耳立てたりしたこともあったけれど、ほとんどの場合別にわれわれの悪口を言ったりしてるわけでもなかった。

同行の人がなんか特別いやらしかったりマナーが無かったらそこは分からんけれど、おねえちゃん同士タガログ語で会話していても、別に秘密の会話ではないことが多い。

まあそんなことはどうでもいいのだけれど、最近久しぶりに日本からのお客さんの付き合いでこちらの夜の世界をたずねてみて発見した、ちょっと面白いことを紹介しようかと・・・

私のようにシャイで人前で歌うカラオケとかが苦手な方もおいでではないかとおもうのだけれど、それでもやはり付き合いとか無理強いされて断りづらいとき・・・・

そんなときには「浪花節だよ人生は」か、長渕剛さんの「しゃぼん玉」を歌ってみてくださいな。

今のところこの2曲しか分からないのだけれど、かなりの高確率でこの曲のイントロがかかると、お店のピーナほぼ全員がステージに集合し歌にあわせて踊ってくれます。

多分この曲の調子がピーナたちのダンスごころを刺激するのかな、歌う自分の前に勢ぞろいして踊ってくれるので、ひとりで歌う気恥ずかしさが結構まぎれること請け合い。

少々歌が下手でも見た目で周りも盛り上がってくれるので、場がしらけることもない。

バックダンサーズならぬフロントダンサーズがそろうとなかなか圧巻で、なんかひとかどの歌手になった気分になれるかもしれない。

AKBなんとかの一員になった気分になれるかもよ。
おっさんだけどね・・・・


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もうかれこれ20年ほど使っているだろうか。
買った当時はまだリモワという名前もまだあまり知られていなかったと思う。

ジュラルミンだっけ、金属外装の割に軽いのはいっさい余分なものがついてないせいだろう、内側にクッションもなにもなくジュラルミンの外装に布を貼っただけの潔さ。

機内持ち込みできるサイズだが、私の場合はいつも荷物は最小限な為これで1週間2週間は十分大丈夫だ。

下着、靴下、衣服もどんなに長い旅行でもだいたい3セットしか入れていかない。
後は洗濯ロープを入れていけばOKなんである。

以前はフィリピンに行くのが近まってくると、このスーツケースを開いて置いておき、頼まれものや、おみやげを出かける度に買い足してどんどん放り込んでいき、バタンと閉じていざ出発だった。

普通の旅行者と違い行きよりも帰りの方が荷物が減るのが常だった。

最近はほとんどフィリピンを出発しフィリピンに帰ってくるパターンとなってしまったが、やはりフィリピンに来るときに荷物が増えるため、ようやく通常の旅行者になった気分。

増えた内容はやはり嫁さん子供へのおみやげと頼まれもの。日本のものはほぼ例外なくフィリピンでは人気があり、うちの嫁さんは妹と二人で小さなオンラインショッピングのようなことをやっている。
そこで売っている日本製品をついでに運んでいるのだ。

不定期の運び屋さんといったところか。

こちらで売ってる日本製品の多くは、日本の値札にそのままペソをつけたような価格設定が多い。

つまり日本の価格の倍ぐらいの価格で売っているのだ。
普通に卸し屋さんから仕入れているのではなく、こういったサリサリストアがちょっと進化した程度の店では仕入れも日本で普通にまとめ買いするくらいで、それにフィリピンまでの送料がかかるわけだから、そういった安易な価格設定になってしまうのだろう、それでも結構売れていくのだからフィリピンの消費意欲恐るべしなのだ。

時々日本と比べるとどっちが豊かな国なのかわからなくなってくることがある。

フィリピンは男にとっては天国といわれる部分があるそうな。
日本でもてない男でもこちらにくると若いピーナが相手してくれるし、いわゆる風俗も日本に比べればはるかに安いせいなのだろう。

時々日本からのお客さんの相手をするのだが、やはり皆さんピーナが相手してくれる飲み屋さんに行きたがる。

日本語が通じるほうがいいといわれれば、必然的に案内するのは日本人社会に近いお店。
リトルトウキョウ近辺とかね。

当然店の中を見回してもお客さんは日本人が多い。

こちらで仕事されているのだろうと思しき日本人男性も、奥のボックス席の暗がりでピーナといちゃいちゃしてたりするし、こっちに奥さん子供さんたちも連れてきている駐在員の方たちも多いのだろうけど、日本人学校とかで顔を合わせると気まずいのではと心配する。

うちの息子は日本人学校もう卒業してしまったけど、学校の催しに行くと、結構夜の街で見た顔とか多いし、ピーナといちゃいちゃしてたおっさんが運動会ではいいお父さんを演じてる姿を見るとなかなか笑えるじゃないか。人のことはあまり言えないけどね。

そのほか風俗といわれるお店は、日本のように多種多様な形態はないけれど、マッサージパーラーとかマッサージスパといわれるものがそれにあたるのかな。

パーラーはいわゆる金魚鉢があって、ひな壇に番号札つけたピーナがたくさんスタンバイしていてその中から選んで事に及ぶ。スパは基本マッサージと手コキがセットという区別のようだ。

パーラーは基本本番がセットだそうで日本で言うところのソープにあたる。

この辺はほかにたくさん詳しいサイトやブログがあるので、気になる方は調べてね。

あまりいろいろ書くと自分自身やぶへびになるかもなので・・・・




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