海外逃亡してしまいました

保証かぶれや経営する会社の経営不振。これでもかこれでもかと降りかかる災難の中、自殺まで考えたがフィリピン移住に活路をみつけ第二の人生に邁進中。海外逃亡のいきさつからフィリピン移住の参考にまでささやかなお役に立てますように・・

2014年08月

おかげさまで拙著「海外逃亡してしまいました」は宣伝らしい宣伝もしていないのにぼちぼちと買っていただいているようです。
改めて御礼申し上げます。

本にするつもりで書いた原稿を、ボツボツとブログに載せてきたのですが、十分に推敲してない状態でかなりお見苦しい点があったかと思います。

出版に先立ってしつこく推敲しましたので、それを元に再度ブログにアップしなおそうかと思いましたが、改めて見返すとやはり思い出したくないことが含まれています。

ブログのアクセス解析を見ると、このブログにたどり着くまでの検索ワードなんかもなかなかヘビーなものがあります。

自分自身もすべてすっきりして今があるわけでもないので、というかどちらかというと出来れば封印してしまいたいことばかりなので、前の話題を蒸し返すのはやはりやめようと思います。

そういうことで、前の内容をアップしなおすのはやめにしますので、どうかご了解くださいませ。
今後はフィリピンに移住した場合の現地のナマの状況なんかを書いていけたらと思います。

前の内容が気になるかた、は拙著「海外逃亡してしまいました」をお買い求めください。

雨季のマニラから

病院関係は何か書き忘れている気がするのだけれど、まあいいや。
また思い出したらぼちぼち書いていこう。

今回はちょっと話題を変えてフィリピンの警察。
これがなかなか曲者。

うちの嫁さんが日本人と結婚して日本行きの配偶者ビザを申請したとき、あらかた手続きが済んでそろそろ日本に連れて行くめどが立ってきた頃のこと。

今もそうなのかは分からないけれど、この頃は日本について講習を受けないといけなかったらしい。
簡単な日本語から日本の文化、常識といったものを講師つきで勉強するらしい。

そのときにもらった手引書というか小冊子を日本に着いてから見せてくれたのだが、バスやタクシーの乗り方とか、いろいろと日常生活の中でフィリピンと違う点がかかれてある中に、きらっと目を引く一文が・・

「日本ではおまわりさんにお金を渡してはいけない」

マニラに住むようになって、最初は会社付のドライバーがいたため、ほとんど自分で車を運転する必要がなかったし、世界第3位という運転しづらい交通事情のマニラのこと、当初はほとんどどこに行くにもドライバーのお世話になっていた。

でも、住み込みでドライバーも働いてくれているわけではないので、たまには出かけたいと思ってもままならないときが出てきたりするようになる。

その当時はマニラの郊外に住んでいたので、時間と場所によってはさほど混雑しないときがあった。
こういうときを見計らって少しずつ自分で運転してなじんでいった。

まあ、車も左ハンドルの右側通行と、ただでさえ日本と逆なのでやはり時間をかけて慣らしたいところだ。
事故でも起こしたらさらに面倒なことになるのは目に見えているしね。

そうこうしながら、一年もする頃には自分で運転して行動する範囲が広がってきた。
ある日曜日に家族連れでちょっとマニラの都心部まで運転してみたのだが、その帰りに記念すべき第一回目おまわりさんにつかまる。

幹線道路を帰宅方向に進んでいたつもりだったが、だんだんと迫ってくるインターチェンジにどっちに行けばいいかまったく自信がなかった。直前で思い直して車線変更したのだが、こちらではこの急な車線変更は立派に違反としてつかまって切符を切られてしまう。

ちょうど待ち構えていたおまわりさん、といっても警官ではなく日本で言う交通巡視員みたいな方たちに前方をさえぎられて止められる。

この交通巡視員みたいなものは市によって制服と管轄が違う。
交通巡視員といいながらも腰のベルトには手錠も装備しており、日本のそれよりは警官よりだ。

とめられてお決まりの免許証提示。あまりこういうこと書いちゃいけないんだろうけど、実はこのときまだフィリピンの免許証を持っていなかった。国際免許証は日本を出るときにとってきたんだけれど、6ヶ月の有効期限はとうに切れてる。

しょうがないので日本の運転免許証を出すと、集まってきた3人の巡視員たちは一様に困った顔をした。
「このコリアの免許証は読めねー」
勝手に韓国人と理解されてしまったが、あえて日本人というとぼられそうなので黙っていた。

このときは巡視員の知識が乏しくて、無免許のことは問われずに、例の車線変更で切符を切られそうになる。
なんか違反講習も2日くらい受けないといけないし、反則金も結構な額を払わないといけないようなことを言われる。

この辺から袖の下をほしがっている様子がちらちらと見えてきて、内心
「おーこれがフィリピンの警察かー、わいろを求めてるんだなー」とおもいだした。

「まだこっちの運転に慣れなくてー、すみません何とか寛大な処置を」
といっても相手の目はすでにカモを見る目に変わっている。

「仕事の都合もあるんで違反講習には出るのが難しいんで、何とかここで反則金納めて良しになりませんか?」
ととぼけたふりで暗に示唆すると、

「しょうがないなあ、じゃあ1500ペソねー」
日本円で3500円ほどになる。すでにフィリピンの物価に慣らされてる薄給の身にはつらい金額である。

頭の中で自分の財布にいくら入っているかを思い起こすと、ほぼ1500ペソ入っている。

「イヤー申し訳ありません、今日は500ペソしか持ってないんですよー、それで何とか・・」
だめもとで粘るのだが、相手も「それじゃ切符切るしかないねー」と駆け引き。

「分かりました、ないものは払えないので、じゃあ切符切ってください」
と出しかけた500ペソ紙幣をまたしまうそぶりをすると、
「あーいいよいいよ、じゃあ今回だけな」
とあっさり折れてくれた。

こういういわば汚職の実態はあまり書いちゃいけないんだろうけど、この後もたびたび経験することになる。
それほどありふれた実態になってしまっている。

ここ最近はそういう汚職を排除しようと政府も動いてきているらしいし、実際賄賂が通用しない職務に忠実な警官、巡視員も経験したので念のため・・

500ペソといえばマニラでの最低賃金が日当で400ペソちょっとなので、巡視員にしてみればおいしい金額なのである。

最初にふっかけられた1500ペソも巡視員が3人いたので、一人500ペソずつという計算だったのだろう。

この後開放されて、丁寧に道も教えてもらって合流車線まで誘導もしてくれた。

同乗していた嫁さんの母親に「よく値切った!えらい」とお褒めに預かった。

後日うちのドライバーにこの話をしたら、フィリピン人が捕まったときの相場では100ペソくらいだとか。
やはりここにも外国人価格がまかり通っているのである。

日本人であまり勝手が分からずにそういう状況になると、ましてや1500ペソで切符も切られず点数も引かれず、違反講習も受けなくていい、となればそれくらい払っちゃえとなりそうである。いかんね

ドライバーいわく、でも巡視員は賄賂が通用する場合が多いけど、国家警察は賄賂通用しないから彼らに捕まったらあきらめてね、と教えてもらった。

国家警察は腰に拳銃も挿しているし、検問ではライフルまで用意している姿を見かけるので、それは肝に銘じておこうとおもった。

・・・がいずれその国家警察に検問で捕まるのである・・・・


今回はフィリピンの歯科事情

こちらは本業に近い部分なので、結構裏事情まで分かるけれども、とりあえずとりあえず・・・

こちらではかなりの数の歯科医院に出入りしているので、日本人の患者さんたちとも時々顔を合わせる。
ほとんどの日本人の方は詰め物やかぶせものが取れてとりあえずつけてほしい、ということでこられる。

大体詰め物かぶせものが外れてくるには理由があるもので、古くてセメントの劣化で外れてくるもの、または適合が悪く隙間から虫歯になってしまい外れてくるものと、大体はそのまま外れたものを付け直せば良いという状態ではないことが多い。

日本ではセラミックのいわゆる差し歯は大体6万から10万円くらいだろうか。
現在の日本の状況は詳しくないが、たぶんおおむねまだそんな感じだろうと思う。

それがマニラだと大体半値くらいで入れることができる。
今流行のジルコニアとか金属を使わないオールセラミックスというものも選択できるし、それらも日本と比べるとかなり割安だ。

歯科医師の治療技術と製作する技工士のレベルが高ければ、フィリピンで入れるほうがかなりお得ということになる。

ただ日本の患者さんと話してみると、フィリピンの治療には一様に不安を持っている方が多い。

「フィリピンの歯医者はすぐに歯を抜くんでしょう?」
「とりあえず応急処置だけで、後は日本に帰ってから・・」

以前日本にいた頃、日本で見るフィリピンパブに勤めるピーナたちはほとんどといって良いくらい入れ歯が入っていてびっくりしたものだ。

仕事柄歯のことはすぐに目が行くのだが、若い女性が入れ歯というのは日本ではかなり特異な例だと思う。

聞けば、治療するお金がないし、抜けば痛みもその日限りという単純思考で虫歯になると抜いてしまうらしい。

大多数の日本人が日本で接するフィリピン人というとやはり圧倒的にパブの子たちなのだろう、そのせいで押しなべてそれがフィリピンの判断材料にされているのだと思う。

ところが実際のフィリピンでは裕福なところの歯医者は、大学出てからアメリカや日本、イタリアなどなど留学して勉強しているのも多い。

日本の企業と政治家の利権にまみれた薬事法なんてものがないので、外国の材料や技術もかなりタイムリーに入ってきて利用できるので、歯科に関する限り材料や設備的にもほかに遅れをとっているとは思えない。

もちろんここの歯科医、医院、技工士、また技工所のレベルはさまざまであるのだけれど・・

そんなわけで日本の患者さんはまだまだごく少数だけれど、逆にアメリカ、オーストラリア、中東などからは旅行のついでにフィリピンで歯を治していこうという人が多い。

自国よりもリーズナブルな価格で早く治せると結構人気でもあるようだ。

ではでは、どうやってレベルの高い歯科医院を見つけることができるか。
これはやっぱり業界の人に聞くのが確実だと思う。

後はやはりある程度の店構えというか立地条件がある程度比例する。

日本だと街の歯医者さんの中にも腕に覚えとこだわりのある歯科医がいて、逆に新しいきれいな医院はまだ経験浅い歯科医だったりと、なかなか店構えだけでは判断できないのだけれど、こちらではやはりある程度裕福なところの出であれば、上記のとおり他国でさらに修行していたりするし、そういうところの人はやはり条件のいい場所で開業していたりする。

こちらの人たちは見栄と体裁を重要視する人たちが多いため、簡単に言うとお金持ちは場所も選んでいくのだ。立地条件のいい場所の医院にはそれなりにお金が落ちていくことになり、その分設備にしろ材料にしろいいものを使い、歯科医自体もさらに研修を積んだりしている。

大学で教えていた関係で、大学教授の裏事情も少し知っているが、大学の給料というのは少ないため、ほとんどが自分のクリニックを持っていたりする。ただし狭いテナントの一室を使ってクリニックにし、大学の勤務が終わってから夜間は自分のクリニックで患者を診るというのも多い。

こういうところはなかなか倹約してやっているので、大学教授だからレベルの高い治療かというと必ずしもそうはいえない気がする。

前回の話でメイドさんを連れて行った病院へ、数年後自分が行くことになってしまった。

すでに例のアメリカンカンパニーはつぶれて、私も別のところに就職したのだが、結局また歯科技工所ビジネスにかかわることになり偶然にも場所が、以前のところのすぐ近くであった。

技工所といえばさまざまな機械があり、その中のひとつを操作中に誤って左手中指に、細い金属製の針のようなものを刺してしまった。

直径1mmほどの細いドリルの刃みたいなものだけれど、悪いことに先端部が6mmほど中で折れ残ってしまった。

自力では抜けないのは目に見えていたので、とりあえず一番近い病院に行くことにした。
例のメイドさんを連れて行った病院で、数年ぶりの再訪であった。

懐かしい救急外来に行き、また例のごとく待たされる。
指はじりじりと痛むけれども、命にかかわる怪我でもないし、勝手も分かっていたのでおとなしく待つこと20分ほど。

意識のない状態で運び込まれる患者さんもいたが、やはり現場は慣れているのだろう、特に誰もパニックを起こすでもなく、淡々とことが運ばれていく。
一刻を争うように見えながらもやはり処方箋をもらって薬を買いに行かされるのは同じで、付き添いの人たちもそれが当たり前として行動している。

私の場合は問診の後、レントゲンを撮らないといけないといわれ、撮影指示書のようなものを書いてもらう。
レントゲン室は2階にあるとのこと、介護士と思しき男の人が車椅子を持ってきて連れて行くからそれに座れという。

「いやいや、怪我したのは指だから車椅子の必要はない」といっても病院のプロトコルだからという。

ばかばかしいと思いながらも気恥ずかしさとともに座ると、その男の人がエレベーターに乗せて2階のレントゲン室まで連れて行ってくれた。

そこの受付で例の指示書を渡すと、薬と同じく会計窓口でお金を払ってレシートをもってこいという。
このとき付き添いの人はいたのだが、会社の上司なのでそんなことに遣うわけにも行かず自分で払ってくるといい、かつての記憶を頼りに会計窓口を捜す。

会計は1階にありこれはすぐ見つかって無事支払いも済ませたのだが、ここで改めてあの車椅子の意味はなんだったのかと不思議に思う。

一階に降りて支払いし、また2階に戻るのは自分で歩いてである。

そんな不思議を思いつつ順番を待ちレントゲンを撮ってもらったのだが、また救急処置室に戻るのに車椅子に乗れという。
「いや、さすがにそれは意味がないだろう。さっき自分で会計まで行って帰ってきたのも自分の足で行ってきたんだから」そういっても例の介護士のお兄ちゃんは聞き入れてくれない。

また気恥ずかしさとともに車椅子で下の処置室に運ばれる私。

レントゲンには確かに金属の針が見えているので、切開して取り出すことになった。
また処方箋を書いてもらい、麻酔薬、注射器セット、メスの刃、破傷風予防の注射薬を買いにまた会計と薬局を行ったりきたり。

ようやく破傷風の注射を打たれ、麻酔を指に打たれめでたく切開の運びとなった。
白衣も着ず普段着のお医者さんだった。

面倒くさそうに麻酔を打ちながら、レントゲンを見て針が細く短いため探すのが面倒くさいと遠慮もなくのたまう。処置後指の動きに障害が出るよ、とこれまた面倒くさそうにおっしゃる。
「どうする?やる?面倒だからやめようよ」といいたげな顔だけれども、私としても針が刺さったままはいやなのでお願いするしかない。

ところが2cmほど切り開いてもその針が見つからない。
さらに上下に延長して切りかなり深いところまで開いてみるのだがそれでも見つからない。

自分の指のなかの腱とか骨とかなかなか見る機会もめったにはないので、こちらも一緒になって針を探す。
そういう患者も少し珍しかったのか、お医者さんは作業を進めながらいろいろと私のことを聞いてくる。

歯科と医科にもかかわった仕事をしていることが分かってくると、今までの少しぞんざいな口の聞き方が丁寧になってきた。

こういう病院に来る患者さんはあまりお金を持たないレベルの人たちだろう、とどうやら自動的に見られるようだ。
お医者さんたちもほとんどがスケジュールで外部から通ってくるようで、自分の医院はもっとレベルの高い個人病院だったり、大学とかで働いている方たちだったりするようだ。

それで患者に対しては余計ぞんざいなんだろうと思う。

やはり、お金はあるに越したことないし、病院はいいところにいったほうが絶対に良いと思う。

私の場合は利き手じゃないとはいえ、指を使う仕事なのでできればその辺もっと気を遣わなければならないところだ。

ゴルゴ13が自分の手の手術を受けるときに、外科医の手を触って慎重に選んだ話とかをぼんやりと思い出しながら自分の切り開かれた指を見つける。

しばらくお医者さんは探してくれたがどうしても見つからない、「もう一度レントゲンを撮ってきて」とおっしゃった。

また例の車椅子の登場である。
2階のレントゲン室に行き順番待ちの末撮影終了。
やはり針は白くそこに写っている。

渡された写真を持ってまた処置室に降りるのだが、車椅子を押すあのおにいちゃんがいない。
その後切り開かれた指を胸に抱えたままかなりの間おにいちゃんを待つことになるのだが、
当然麻酔が切れてくる。だんだんと痛みがよみがえってくるのだが、今回は針が刺さった痛みだけではなく、都合5cmほど深く切り開かれた傷の痛みも加わってくるのでたまらない。

何とか我慢できる範囲を超えそうになってきた頃おにいちゃん登場である。
つくづくこの病院のプロトコルが恨めしくなる。

結局病院にいってから中指の骨のすぐ横に深く刺さった針を見つけ出して取り出すまでに、5時間を越えていた。

かかった時間だけ見るとちょっとした大手術である。

その後、長く中指の先の感覚が無く、関節も曲げにくかったりと、しっかり後遺症も残った。

やはりいざというときのためにある程度のお金は取っておかないといけないなあとつくづく思った。
日本の医療がすばらしいかというと疑問に思う部分もたくさんあるけれど、とりあえず保険証があれば最低限の治療は受けられ、病院による格差もフィリピンほどひどくないだろうから、この辺はやはりうらやましいところだ。

今回は前回の私がかかった病院よりちょっとレベルが下がる病院事情。
一応ここも大学系列の総合病院だが、一般的なフィリピン人を対象とした病院という感じだ。
よく言えば庶民的なのだが、日本人がかかるとびっくりするようなことが多いかと思う。

拙著「海外逃亡してしまいました」編に書いた当時の話、マニラのアメリカンカンパニーに勤めていた頃、ここは多いときで400名を越す従業員がいた。

まかないのメイドさんも数名いて、掃除や役員の昼食、夜勤の従業員への夜食などが主な仕事。

ある私の夜勤の日の夜7時くらい、そのときは二人のメイドさんがいたのだが、このうちの一人が貧血か何かで倒れてしまった。

一応私が夜間の責任者だったこと、車があったことなどからくだんの総合病院の救急外来にもう一人のメイドさんと一緒に連れて行った。

車で10分ほどのところで、会社に一番近い病院だが、建物は古く、救急外来もたくさんの人でごった返しているような感じ。

こちらではスクラブスーツという手術着をきている人が多く、だれが医者だかわからない。
手術着といっても外科医が着ているとは限らず、こちらでは看護師や介護士、病院関係であれば掃除夫なんかもこのスクラブスーツを着ているので分かりづらい。

救急で行っているわりには長く待たされたうえの問診。
簡単な診断が下された後、処方箋みたいなものを渡される。
みたいなものではなくまさしく処方箋なのだが、処置に必要な薬品などが書いてあるから二階の薬局に行って買って来いという。

二階に上がり薬局を探すと奥に薬棚がある部屋が見つかる。
ここで処方箋を見せると、先に会計窓口に行って支払いを済ませてレシートを一緒に持ってこないとだめだという。

会計窓口を探して支払いを済ませ、レシートをもって再び薬局へ。
ようやく薬を出してもらい救急外来に戻る。

医師と思しき人が別の人を処置しており、それが終わるまでしばらく待たされる。

ようやくメイドさんの番になって注射やら点滴やらが始まる。

このときは貧血だけでたいしたことがなかったが、一刻を争う救急時にはこのレベルの病院だとやはり助かるものも助からない場合があるのではと思う。

ましてや付き添いの人と十分な現金が必要なのである。

フィリピンに移住しようとする方で、持病がある方、あるいは救急時のことを考えるなら、あらかじめある程度のレベルの病院を探しておくことが大事だ。

病院によっては処置の後に支払いというところもあるし、クレジットカードが使えるところもある。
経済的な余裕さえあれば日本にも負けないようなレベルの病院もある。

フィリピンの場合サリサリストアという、ごく庶民の生活に溶け込んだ普通の民家の庭先でやっているお店がいたるところにあり、ここではシャンプーや調味料などサシェという小分けパックで買えるし、卵が一個から買えたり、コーラやジュースもビニール袋に小分けして売ってくれる。

こういう店でも頭痛薬から風邪薬など、薬までも一個からバラで買える。

街角にはドラッグストアもたくさんあるし、処方箋がなくてもたいがいの薬が買えるようだ。

たいした病気でもなければ、あるいはいつもの持病程度であれば、わざわざ病院で待って診察してもらって処方箋を書いてもらう、というプロセスを大幅に省略することができる。

日本に比べてどちらが良いかとは単純に比較できないだろうけど、やはりその土地の状況に合わせてシステムはできていくのだなあと思う。

後日、この病院には私がお世話になることになる。
それは次回の予定で



↑このページのトップヘ