海外逃亡してしまいました

保証かぶれや経営する会社の経営不振。これでもかこれでもかと降りかかる災難の中、自殺まで考えたがフィリピン移住に活路をみつけ第二の人生に邁進中。海外逃亡のいきさつからフィリピン移住の参考にまでささやかなお役に立てますように・・

2013年11月

これからしばらくの後普段から喧嘩をよくする夫婦であったが、どうしても我慢がならずへそくりのことを指摘したことがあった。

「おまえは会社が大変なときにもなにもしなかったじゃないか、都合がいいときだけ役員づらするんじゃない。
170万円へそくりを持ってるのは俺も会計士さんも知っていてあのとき聞いたんだぞ。それをしゃあしゃあととぼけやがって・・」
このときの嫁さんのハッとした顔は見物だった。

しかしこの次の日驚くべきことが起こった。やはりあのとき通帳と印鑑を差し押さえておくべきだった。

次の日の夜仕事を終えて自宅に戻る私、玄関の鍵をいつものように自分で開けて入ると、革のにおいがするのである。
鞄屋とか靴屋に入ったときのにおいと言えばわかるだろうか。
なんで革のにおいがするんだろうと思いながら玄関から次の間の6畳の和室に続くふすまを開けてびっくり。6畳の和室にはおよそ似つかわしくない本革張りの応接セットがところ狭しと据え付けられていたのである。

その次の間の台所には部屋と調和がまるっきりとれていないやたら重厚な食器棚や本棚が設置されていた。

浅ましい限りである。

へそくりが見つかった以上は出せと言われるに違いない、使われるくらいなら自分の欲しかったもの買っちゃえ、かといって自分の服やバッグだと責められるから家具にしよう。そういう魂胆だったのだろう。

口をきく元気もなくなった。
さらに後々気づいたのだが、それでも170万円すべては使っていなかったのである。
どこまでも浅ましくしたたかなこの女がほとほといやになり、この女とは離婚しようと心に決めた。

程なくまたいつもの無意味で先の見えない喧嘩が始まったのをきっかけに離婚を切り出した。
こちらは心が決まっているので言い争いも最小限に押さえ、要点のみを伝えて場を離れる。

それからは淡々と離婚に向けての準備を進めていった。相手にすれば離婚はその場の感情で出た言葉とでも思っていたようだが、不安になったのかいろいろと懐柔策を弄してきたり、怒ってみたり、いやはや感情のコントロールができない生き物であった。

そのうち仕事場にストーカーまがいの電話をかけてきたり、親兄弟、親戚縁者、果ては得意先にまで私に
関する誹謗中傷の手紙や電話を出したりかけたりするようになってきた。最初は淡々と離婚への有利な証拠としてそれらを回収して回っていたのであるが、ことが得意先に間で及ぶようになるとこちらの仕事がやばいのである。

離婚はしたくないというのが相手の基本的な考えなのだが、こういうことをすると結局は自分の立場がなくなるだけじゃないかと相手の知能を疑わざるを得ないようなことばかりするようになった。

離婚

会計士さんとの話し合いでもこれ以上借り入れはできない、何とか今を乗り切らないと、という状況だった。

「貯蓄している分とかありませんか?あればそれで今はしのぎましょう。」との会計士さんの言葉に
「うー、私は貯蓄はないんだけれど、実は・・・」

このしばらく前に自宅で捜し物をしているときに偶然タンスの中で見つけてしまったものがあった。
嫁さんのものが入っている棚の衣服のさらに一番下に郵便局の定期貯金の通帳が出てきた、しかも3口分もちろん名義は嫁さんの名前で総額170万円。
見つけたときは頭の中???

普段から金がない金がないと愚痴をこぼされてるし、普段の生活はとても質素なものなのである。
ようは嫁さんのへそくりであった。そのときはどうしたものか対応を考えるのも面倒くさくそのまままた元の位置に戻しておいたのだけれど、会計士さんとの会話でそのことを思いだした。

「私がそれとなく奥さんに貯蓄がないか探りを入れてみましょう、今は会社を存続させることが重要ですから。」
との会計士さんの言葉に嫁さんを交えての話し合いになるのである。
小さな技工所とはいえ一応は法人として設立してあったので、嫁さんも一応取締役という書類上は肩書きがついていた。

「いえーぜんぜんためる余裕がなかったもので蓄えはなにもないんですよー」私も会計士さんもへそくりが170万もあるのは知っているものだから、内心はよくもまあそううそがつけるもんだ。
会社の存続の危機だぞ、といいたい気持ちから急激にこの女に対する気持ちが冷えていった。
会社が存続していかなければ収入も減るというのに、自分の目先のへそくりは使われたくないのである。

結局このときはどうにかこうにか経営は持ち直すのだが、このへそくりは最後まで仇をなすことになる。

仕事はさらに増え続け、自宅に併設した仕事場もだんだんと手狭になり、しかも従業員を一人雇う必要が出てきたことから、結局はさらに広い仕事場を求め貸し事務所を外に借りることになるのである。

受注する仕事の多様化に応じ機械設備もどんどんと投資していったのだけれど、このころはただ勢いに乗っているだけで収支のバランスとかはまるで考えていなかった。

新しい種類の仕事を受けるために140万円の機械をリースを組んで導入、月々の支払いが2万5千円ほど。
機械を導入することによって受けられる仕事の利益率からいって最低3ケースを月にこなさないとリースの支払い分が出ない。

機械の導入によって既存の仕事がより効率よく捌けるようになって生産性が上がるとか、時間の短縮ができるというのであればいいのだが、そうではなく別の種類の仕事になるため、実質機械が稼働している時間はわずかで、最低ラインの3ケースさえ受注できない月もあった。

仮に3ケースが確保できたとしても、機械の支払いに消えていくのであればよけいに忙しくなるだけで、実質的に売り上げの向上にはつながっていないのである。こういうことにさえ後々になって初めて気づく私は経営者は向かないのだろうと思う、いや、そうやって人間は学んでいくのだろうとも思いたい。

しかしまだこのころは全体の売り上げも高かったため、先行投資とか経営努力などとうそぶくこともできたのである。

新たに貸し事務所物件を見つけ仕事場を移転、従業員も雇い、さらに帳簿管理や申告のために会計士さんにも
月一できてもらうようになった。それまで手書きだった納品書や請求書も専用ソフトの入ったパソコンとプリンターのシステムを導入。これも百数十万円のものをリース。
今にして考えるとインターネットもできないようなDOS/Vのパソコンにドットプリンターだけのシステムだったのだけれど、そういうものがその値段でもまだ売れていた時代なのである。
最もまだインターネットが一般に普及していないころでもあった。

田舎にいちゃバブルの恩恵も感じられないねと、当時は言っていたものだが、今にして思うとそこかしこにバブルの恩恵と言うよりは狂った金銭感覚はあったのかもしれない。

技工所というものは、一般的には過当競争が普通にまかり通っている世界で、単価が安い分長時間労働が当たり前みたいになっているところがあるのだけれど、自分の理想も築きあげたく、価格は高くても品質勝負みたいな勢いで営業して、開業当時はまだ仕事がたくさん取れたのだけれど、やはりそれはバブルの残り香。

開業後5年ほどで知らず知らずのうちにその香りは薄れていった。

歯科技工士というもの

私の職業は歯科技工士、一般にはあまり認知度の高くない職業だと思う。
歯科医師が歯を抜いたり削ったりした後に入れ歯や詰め物、差し歯などを作るのが主な仕事。

高校卒業後だいたい2年間の専門学校教育課程を経て国家試験にパスすると免許がもらえるのだが、
資格取得後一年以内の離職率が70%を越えるともいわれる仕事だ。もちろんいろんな状況はあるのだけれど、
歯科技工業界での定着したイメージは、納期に常に追われた長時間労働、粉塵などの発生する作業も多く
健康にもよろしくない、以前よくきかれた言葉でいう3Kといってもいい職業だ。

私自身も資格取得後、歯科技工所や歯科医院といくつかの職場を経験。最終的には同じ苦労するんだったら
自分でやっちゃえと歯科技工所として独立したのが26歳の頃。
有限会社として立ち上げたものの営業、製作、配達納品、請求業務から集金までと何でも一人でこなす小さな自営業だった。

独立開業した頃はまだ日本もバブルの残り香がある頃で、会社設立に関わる資金300万円のほとんどを銀行からの融資で調達できた。しかも無担保保証人なし。

開業後業績は順調に伸び、勤め人だった頃の給料と同額を稼ぎ出すのが、それまでの労力に比べると拍子抜けするくらいだった。

「もう勤め人には戻れないね、一歩踏み出す勇気があれば楽勝じゃん」
と調子に乗っていたのがこの頃だっけ。

しかし今にして思えばこの頃から金銭感覚が狂っていったのだろう。
独立して程なくそれまでつきあっていた彼女と結婚。仕事は取引先が増えるにつれ設備を増やさざるを得なくなり、
それまでの借家住まいのほかに貸し事務所を物色。

結局借家と貸し事務所では家賃、光熱費など無駄にかかりすぎるため、
それなら一戸建てで仕事場も併設した方がよかろうと新築一戸建てを1500万円ほどで購入。

開業してから1年もたっていない頃で、仕事が順調に延び始めていたとはいえ頭金になるほどの現金も持ってない状態で家を購入するのだから無謀な話である。結局25万円ほどの現金を用意はしたものの、登記手数料や不動産への支払いなどでこれは消えてしまったため、ほぼまるまる1500万円の住宅ローンとなった。

それでも会社の資本金のために銀行から借り入れた300万円のほかに借り入れはなかったこと、
家の購入金額が都会に比べてまだまだやすかったため、月々の支払いに不安を覚えるようなことはなかった。

実際私のところにはがきや封書だけでなく督促電話もかかってくるようになるのだが、最初は冷徹に対応してくる相手も、
こちらの誠意を示しつつ説明するうちに言葉のトーンが変わってきたものだった。
電話してくる相手に対しても仕事で毎日こういう電話をかけなければいけないのかと思うと、心から気の毒だとも思うし、
「おまえに借りた金じゃない」なんて開き直ったり感情的になってはいけないのである。

そのころの私の借金の総額は、信販会社2件あわせて約500万円、自分の会社の事業性資金として
銀行からの借り入れ残約300万円、住宅ローンの残600万円くらいだったと思う。
ほかにも個人的な借り入れ200万円と会社の取引先への未払金120万円。当時としてもきちんとした額を
把握してないくらい現状をよく認識できておらず、目先の差し迫った支払いをやりくりしていくので必死の状態、
そこからだんだんとこのままではいずれどうしようもなくなるという不安が大きくなってきて、
それがだんだんと確かなものに感じられるようになってきたのが最初に弁護士に相談に行った時点での状況。

弁護士事務所では女性の事務員とおぼしき方が対応してくれたのだが、こちらを見下すこともなく
親切に対応してくれたのだけれど、いわば情けない状況にありながらも、どこか人事のようにとらえようとする自分がいた。
簡単にいえば現実逃避、別の見方をすればそうしなければ壊れてしまう状態でもあったと思う。

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